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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   
カテゴリー「音楽の話」の記事一覧

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夏だけど春

昨日の昼食の友は、シューマンの交響曲第一番「春」
バーンスタイン指揮、ウィーンフィルの演奏。

なんでこの曲を聴く気になったかといえば、先日カーラジオから聞こえてきて、明らかに知っている曲なのに、タイトルがとっさにわからず悔しい思いをしたから。(なんて理由)
歌えるのにタイトルが分からない曲って、すごくもどかしい。

「春」は、かつて学生オケで弾き、今でもお気に入りのひとつ。
春を迎えた喜びや陽気さに満ちあふれていて、文句なしに好きだ。
(弾くとなれば話は別だが……特に報われない2楽章は勘弁)
この曲は、シューマンのフロレスタン的、つまり明るい面が強く出ているんだろうな。
ヨーロッパ北部では、冬があまりに長くきびしいため、春がくると本当にネジがゆるんでしまう人が出ると噂で聞いたことがある。

じっくり聞いてみて、この演奏は音が生きている、と思った。
シューマンに限らず、作曲家はスコアに記す音のすべてに意味を与えていると思うのだが、その意味をくみ取り、解釈してオケに指示を与えるのが指揮者だ。
それで、実際に音に命を与えるのが演奏者。
昨日聞いた版はそういう意味で完璧に思えた。
シューマンに直接語りかけられている錯覚さえ起こすほどに。
管弦楽ってすごい芸術だよな。
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生演奏はいいな

先週の土曜日、コンサートに行って来た。運良く招待券が手に入ったのだ。
愛知県芸術センターで催された、ベートーベンマラソンコンサート。
17日金曜日の晩から18日土曜日の夜にかけて、交響曲を1番から9番まで、オケを交替しながら演奏する。
聞きに行ったのは、15時45分から演奏される6番と7番のセット。
せっかくの招待券なので、一曲でも多く聴けたらそれに越したことはないが、時間的な問題もあって、来月演奏しなくてはならない6番をとりあえず押さえておくことにした。7番がお気に入りの曲であることはもちろんだ。
本当は続いて演奏される8番と9番の組み合わせも聞きたかったんだけど、夕刻になると家に帰って夕食の支度をしなくてはならないのが子持ち主婦のつらいところ。
でも、もし9番まで聞いたらぐったり疲れそう。何しろ、7番を聞き終わった時点で「お腹いっぱい」と感じたから。

会場受付で招待券を受け取り、席を確認したら、なんとS席。だが喜んだのはつかの間、2列目、舞台のすぐ下の席だとわかって、ちょっとがっくり。
こんな前では、バイオリンやチェロは手元の動きまでよく見えるが、金管も木管も見えやしない。
せっかく、ホルンが左にきてティンパニが中央に来る配置だったのに。

聞こえてくる音は、オケ全体が調和したひびきでなく、個々の楽器の音が生々しく聞こえる。特にホルンやフルートはすぐ側で聞いている見たいな音。(余分な雑音まで聞こえてしまったというのはここだけの話)
しかし弦楽器群は、すぐ側で聞いてもやはり絹織物みたいに艶やかな音だったので、さすがプロだと思った。それに弓使いがはっきり見えて勉強になる。
特にチェロ・バスの音が格好いい。低音がしっかり響くとそりゃもう素敵で。(>_<)

聞いていて思ったのは、プロはピアノやピアニッシモの音色が美しいということ。アマオケだとそうはいかない。そもそも音量が落ちないし、落ちたと思ったら弱々しい響きになるし。
音量の差をきちんと出せると、それだけで曲にメリハリがつくんだな。
特に、7番の2楽章、中・低弦で奏でられるあの有名な主題が、張りつめたピアノから始まって、途中でピアニッシモにすっと落ちたとき、背中がぞくりとした。そして驚いた。
「まだ音量が落とせるんだ!」

やっぱり、たまには演奏会に行って耳を肥やさなくては。

月の光は本当にはかないのか

昨日予告した通り、本当に「月光」ソナタを買ってしまった。
中古屋に行ったら待ちかまえているかのように棚に並んでいた。
カップリングは、ピアノコンチェルト「皇帝」と、月光と同じくらい有名なピアノソナタ「悲愴」。
演奏者はClaudio Arrau。録音が1960年代前半と、少々古いのが気になったが、とりあえず曲が欲しくて買った。

家に帰り、昼食を取るのももどかしくCDをセットする。
期待しすぎたのかな、どこか気に入らない。
1楽章と2楽章はいいとして、3楽章がしっくりこない。はっきり言うとかったるい。
同じように激しい曲調で、悲愴の1楽章は聴けるのになあ。
昨日読んだ本に影響されすぎたかも。

どなたかおすすめの「月光」はありませんか。

話題の本にかこつけて

今月の4日に封切りされた邦画「四日間の奇跡」の原作を読み終えたところ。
左手の薬指を失った元ピアニストの青年と、彼の保護を受けながら養護施設などをまわってピアノの演奏をする少女が登場する話なので、必然的にピアノ曲がたくさん出てくる。
(本そのものの感想については、別の場所で)

一番軸になるのがベートーベン。次がショパン。たまにリストやシューマンなど。
最も盛り上がるラスト付近、作品のテーマを語る大切なシーンで使われるのが、いわゆる「月光」ソナタ。
このソナタの主題に使われている動機は、かの英雄交響曲の第二楽章、つまり葬送行進曲と同じだが、この作者ならそれを知った上で使っていそう。もし知らなくても直感で同じにおいをかぎつけるのは簡単だ。

読み終えてからずっと、一楽章の冒頭部分が頭の中で鳴り続けて止まらない。
確か持っていたはず、とカセットテープやCDのラックを探したが、出てきたのはワルトシュタインと熱情と告別だけ。おかしいな。
この分だと音源を求めて明日あたり、CDショップをうろつきそううだ。

始まりはモーツァルト?

病院と買い物から帰ってきて、昼ご飯。
さて、BGMは何にしよう、としばし考えて、いつものようにモーツァルト。
最近、頭の中に疲れがたまることが多くて、眠れない日が多いので、のんびり出来る昼日中は自然とモーツァルトに手か伸びる。やはり効くんだろうか。

今日は交響曲25番。いわゆる「小ト短調」。
モーツァルトのシンフォニーはほとんどが長調で短調は2曲のみ、25番と40番だ。
どちらもト短調なので、25番は「小ト短調」と呼ばれることもある。
冒頭、激しいユニゾンのシンコペーションで始まり、鬱々とした音楽が少しずつ音量を落として、ふっと止まったかと思うと、いきなり長調の和音が大きく鳴る。鬱蒼とした藪の中から急に抜け出して明るい世界に出たみたいに。やっぱりこの人天才だ。

こんなにも有名なモーツァルトだから、有名な、特に25番のようなシンフォニーについてはあらかた解説は出つくしていると思うが、他人の感性を借りるだけではつまらない。一番いいのは自分の耳で聞いて感じて考えることだな。

モーツァルトといえば、大学オケでお世話になったK先生がモーツァルト全曲演奏会という企画を立てられ、実行された。もう15年ぐらい前の話だ。この先生にとって、モーツァルトはどのように聞こえたのだろうか。
実はK先生、小生意気な学生からはちょっと軽んじられているところがあって、やれ指揮が見にくいだの、曲の解釈に問題があるだの、陰でいろいろ言われていたりしたので、私はあまりお近づきにならなかったけれど、ひとつ、どうしても忘れられないことがある。

生まれて初めてシンフォニーに挑戦した大学2年生の春。はじめてK先生に振っていただいた時のこと。曲は「運命」の二楽章だった。
まだ音程も定まらない腕前で、♭4つ、すなわち変イ長調の主題を美しく弾くなんて、とんでもないことだった。音程とリズムが合えば万々歳というレベル。
ガチガチに緊張しまくる新二年生を前に、K先生はしみじみおっしゃった。「君たちは幸せだね。こんなに素晴らしいメロディを演奏できるのだから」と。その時、二楽章の冒頭はテキストでも課題でもなく、本当は生きている音楽で、喜ばしく演奏されるのを待っているんだと知った。

今月のつぶやき

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