2月の連休は、二日連続で祝祭管の練習となり、音楽三昧だった。前日のマエストロ来団にひきつづき、翌日は名古屋市立小中学校合唱祭のお手伝い。
何をしたかというと、全体合唱曲の伴奏。合唱祭は、参加校数の都合で三回に分けて行われ、それぞれの回の一番最後に全体合唱として「あすという日が」が歌われる。このときに生オケの伴奏を担当。完全なボランティアではなく、ちゃんと報酬が団に支払われる。お金も大事だけど、この時の経験には、アルバイト代以上のものがあったと思う。
例えば、出番の少し前に静々と舞台袖に集合し、舞台そでから歌を歌う小中学生の様子を見守るわけだけども、それだけで「へー」と驚くことがいろいろ。
今の合唱発表は歌だけでなく、振り付けあり、踊りあり、歌に合わせたコスチュームありで、自分が中学生だったころからすると、ずいぶんバラエティ豊かで楽しい舞台になった。そして、子どもたちの素直な声。正直なところ、学校によってレベルはまちまちなのだが、子どもたちと指導者が時間をかけて練習を積み上げてきたことに変わりはないし、よけいな心配や雑念にとらわれず音楽に打ち込める時間があるって、とても恵まれたことなんだよ、と心の中でつぶやきつつ歌声に耳を傾けた。
ついでに自分が中学生で合唱部だったときのことも思い出して、かなり甘じょっぱい気持ちになった。うん、あの頃はある意味、黒歴史といってもいい時代だった。
(ここからは昔語りになるので、そんな話はどうでもいいよという方は、お戻りください)
さて。
小学校で合唱部に入っていた管理人、中学生なっても合唱を続ける気まんまんだったものの、中学校には合唱部がない。しかたなく、放送部に入ってのんびり過ごしていたところ、中二になって合唱部創設。喜んで設立メンバーに。しかし、設立初年度から某コンクールへの出場を目指すことになり、活動はなかなかハードでしてねぇ……。
体育会系なみに基礎体力作り(主に腹筋関係)とか走り込みはあるし、練習日は多いし、中3の夏休みなど、午前中合唱の練習→午後から電車に乗って予備校通い→夕食後は夜中まで宿題&塾の予習とかで、よく倒れなかったなと思う。体弱いから体育会系の部活には入らなかったのに意味ないし、という感じ。
そんな夏の練習中、立ちすぎて痛くなってきたカカトを気にしながら、ふと思った。「どうしてこんな細かい表現まで、言葉のひとつひとつの発音、発声にまでこだわって歌わなくちゃいけないんだろう、面倒くさいし、ちっとも楽しくないし」。
でも次の瞬間、答えが降ってきたんですよ。ああそっか、氷の彫刻を作るみたいに、合唱部のメンバー全員でなにか大きな作品を作ってるんだ、と。しかも後から直しが効かない、一瞬一瞬が勝負であるその場限りの作品を。それは単に歌って楽しいとかいうレベルではなく、聞く人が「ほう」と何がしかの感動を感じるレベル、もしかするともっと上を目指しているのだということ。それ以来、音楽沼一直線。
それで、なぜこれが黒歴史かって? まあ、合唱部に絡む思い出は、この場で語れない人間関係に関わるものを含めて山ほどあり、久しぶりに若い子たちの歌声を耳にして「あ゛ー」と唸りたくなることまで思い出してしまったということで、ご勘弁ください。