陽気にさそわれ、ふらりと豊田市美術館で開催中の「クモがつむぐ美の系譜―江戸から現代へ 蜘蛛の糸」展へ。
先に感想を言ってしまうと、すばらしい企画展だった。
美術館で催される展示には、集客効果に力点を置き国内外の有名作品を展示するタイプのものと、美術館のほうから鑑賞者に何かを提案するため、あえてマイナーな作品を紹介するタイプがあると思うのだが、「蜘蛛の糸」展は後者のタイプで、しかも、「こんな視点があったんだ」「こんなに素敵な作品があったんだ」と新発見の連続でなおかつ、芸術の根源にまで触れられるような繊細な展示もあって、大きな収穫だった。
チケットを購入し、案内に従って2階への階段を上ると、いきなり不穏な入口が見える。
塩田千春「夢のあと」に出迎えられる。
吹き抜けの巨大なスペース全体に張り巡らされた「蜘蛛の糸」と、糸に絡めとらた純白のドレス。ドレスを着ていたであろう人体はどこへ行ってしまったのか。
↓近くで見るとこんな感じ。光に透けて模様が見え、かえって「抜け殻」感が増す。
悪魔的な魅力にあふれた空間で、実に立ち去りがたいが、長居をすると得体のしれない何かに絡めとられそうなので、後ろ髪を引かれつつ退散。
全5章立て。
第1章「蜘蛛の糸を見つめて」では、クモをモチーフにした江戸時代の絵画や工芸作品を紹介し、日本人が蜘蛛をどのように捉えていたかを照会。はっきり言って、クモは愛されていた。
第2章「象徴としての蜘蛛の糸」では想像や物語の世界に登場するクモを紹介。源氏物語・六条御息所に題材をとった上村松園「蜘蛛の巣(素描)」は圧巻だった。立ち上る妖気がすさまじい。工藤哲巳「無限の糸の中のマルセル・デュシャン プログラムされた未来と記録された記憶の間での瞑想」は、ふだんは愛知県美術館にあって、お気に入り作品のひとつなのだが、豊田で再会できてにんまりとした。確かに糸つながり。
第3章「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』」。これは有名すぎる芥川作品へのオマージュがいっぱい。カンダタもたくさん。原作そのものが人間の本質を突きすぎているので、想像力を刺激することはなはだしい。中でも興味深かったのは、ムットーニによるからくり時計仕掛けの「蜘蛛の糸」。カンダタがひとりのサラリーマンとして登場するので、よけいに刺さる。もうひとつが、小泉明郎「悲劇の誕生(インスタレーションバージョン)」で、蜘蛛の糸は登場しないが、本の朗読を続けようとする話者を無数の手が邪魔しにかかる。意志という名の糸=意図が悪意を持つ手によって引きちぎられそうになるさまが、かなりエグい。
第4章「アラクネの末裔たち」。ここでは、ギリシャ神話において、機織りの腕前が優秀すぎて女神の怒りをかい、クモにされてしまったというアラクネのエピソードにちなみ、蜘蛛の糸をつむぐような作業を重ねて制作をする女性の作家を紹介している。冒頭に登場した塩田氏の作品はもちろん、初期の草間彌生の作品もあり、これがとてもよかった。辛抱強い繰り返し作業の上に立ち現れる芸術作品の数々。
第5章「蜘蛛の巣のように立ち現れるものたち」。蜘蛛の巣から連想されるテーマを持つ作品が展示されている。人と人をつなぐインスタレーションあり、クモの糸からヒントを得て開発された繊維の紹介あり、クモの巣の模様が浮かび上がる不思議な写真作品あり。一番最後に、ミヤギフトシ「気狂い屋敷で:島の家でゾーイー(と他の物語)を読む」というビデオ作品があって、見事に打ちのめされた。例えるならフルコースの後に、喫茶マウンテンの巨大パフェを食するようなものだ。
どんな作品かというと、沖縄の道の風景をバックに、サリンジャーの「ゾーイー」を英語で読み上げるもの。ただし、「ゾーイー」のところどころに作者による編集や創作が混じっていて、大筋は原作通りだけども細部がちょっと……いや、かなり違ってる。でも、原作を何度か読み返している自分にとっては、どこが原作通りでどこが創作かの境目がよくわかって、非常に興味深かった。創作部分に高い壁を上るクモのエピソードが取り入れられているのがキモだ。そして一番のエッセンスとなる「でぶおばさん」のエピソードがそっくり残っていてうれしかった。
全体として、各々の作品に丁寧なキャプションがついている点、さらに「蜘蛛の糸」というキーワードでつなぐことにより、日本人作家のさまざまな作品に光を当てている点がすばらしかった。蜘蛛の糸→芥川作品という流れはもちろんのこと、蜘蛛が糸を紡いで唯一無二の巣の形を作り上げることとアーティストの創作活動を結びつける流れが、とても素晴らしく感じられた。
ついつい長居しすぎて、美術館を出たら夕闇がせまっていた。
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