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びおら弾きの微妙にズレた日々

ヴィーゲン・リート (作 めりるさん)

カイトは途方に暮れていた。眉一つ動かさない表情からは到底読み取れずまた自覚もないが、カイトは確実に困っていた。

カイトの視線は動じないが、目線の高さのあたりを先ほどから、ふよふよと移動する浮遊体が漂っている。それはときおりもごもご動くおしゃぶりをくわえた、人間の赤ん坊の姿をしていた。

《やぁ。はじめまして、兄弟。》
「・・・。」

赤ん坊に見えるそれは、いきなりカイトへテレパシー(心話)を送ってきた。カイトはやはり無表情に赤ん坊を見つめ返す。

《まずはお互いの自己紹介といこうか。ボクはコブ。キミは・・・、カイトというんだね。ボクは先天性だけれど、キミは後天性だったというわけか。》

カイトとコブの心話はすらすらと通じた。その事実そのものが、彼らが紛れもない同族であることを語っていた。

全身にコンバットスーツを着込み、ごつい機関銃を携えランチャーを担ぎ、予備のマガジンを腰から提げベルトを肩から吊るした、完全な戦士のいでたちのカイトは、それでも微動だにしなかった。それは、機械の申し子、鉄面皮と揶揄混じりの賞讃を、生まれながらに受け続けてきた男の末路だった。

この時代、人類はゲノム地図を最後の一本まで読み解き、優生保護の名の下、遺伝子操作と人工受精及び人工子宮による完全な計画出産を実現させ、神の領域についに踏み込んだ、いにしえよりの理想とされた子孫繁栄を謳歌していた。

その一切合切を担うのは、中央政府の最奥に据えられた、巨大なメイン・コンピュータ。やがてこのコンピュータは人口調整のみならず人々の意識にまでその触手を伸ばし、政治経済から文化の隅々に至るまで深く根を張り、人間はもはやこの居心地の良い巨大な〈ゆりかご〉から抜け出せるほどに成長することもなくなっていた。

しかし、生命とはどこまでも神秘に満ちていた。塩基配列から合成され完璧に造形されたはずの新世代たちの中に、予定外に突出あるいは偏向した性質や能力を備えるものが出現しはじめた。カイトのように人並み以上の反射神経と運動能力を有するが感情の起伏に乏しかったり、コブのように強力な超能力(ESP)を発揮する代わりに身体能力を著しく阻害されたり。

〈それら〉は数十年前にはわずかばかりの数であったが、ここ数年、誤差の範囲内に納めるには無視しがたい確率で確実に産声を挙げるようになってきていた。

能力の優劣もさることながら、人口計画における想定外の事態を重く視た中央政府は、〈それら〉の排除を決定した。常日頃、国家と人類に忠誠を捧げることを戦士の最大の存在理由と位置づけていたカイトは自主的に、人工のゆりかごでの誕生直後の遺伝子検査で除外されたコブは自動的に、ここへ落とされたのだった。宇宙の闇に浮かぶ生命の墓場にして牢獄、この最終処分星へ。

なおも言葉を継ごうとおしゃぶりを動かしていたコブが次に発した心話は、カイトもある程度予想していたものだった。

《おしゃべりはここまで。来るよ。》

ヒュルヒュルヒュル・・・、と風を切って飛来する砲弾が着弾する前に、カイトは身軽にターゲット地点から跳びのいた。次々に到達する砲弾の信管を、マシンガンを構え狙いを確実に定め屠(ほふ)っていくがキリがない。

「大元はどこなんだ?!」
《方位NEN-141、距離41302。でもそこへ駆けつけても離されちゃうよ。指向性移動砲座だけど、動作がランダムで予測は不可能だもの。》
「何?!わかるのか、おまえ。」
《あ、いま方向がSE寄りに変化したよ。その間隔も乱数で組まれてるみたいだね。》
「私の脚なら追えるか?」
《まぁね。行ってみる?》

コブがそう告げるやいなや、カイトはコブの予測する方角へ駆けだした。途中敵の動きに合わせて何度も方向転換する。常人にあらざる速度で駆けるカイトと、それにぴったりと寄り添い、飛ぶように付いてくるコブ。二人は一組の戦闘機械(バトル・マシン)とも見えた。

やがて二人の行く手をさえぎるように、小山のような大岩が出現した。コブによれば、その向こうを高速で移動する物体が存在する。カイトは瞬時にそれを標的としてロック・オンした。肩に担いだミサイルランチャーを軽々と操り、カイトは機械人形のように一連の動作を自動的にこなし、岩山の向こうへ肩から煙を吐いた。

ひととおりの衝撃が収まると、荒野は静寂を取り戻した。日は高く、空は青く澄みきり乾いた風が二人の頬を通り過ぎる。ここにはあまりにも何もなかった。しかしカイトはそんな風景を意に介さず、次なるターゲットを求める戦士の目つきを崩さず歩を進める。

《キミってどこまでも政府の犬なんだね。》
「それが私の役目だからだ。」
《ヒマだからボクも付いていっていい?》
「好きにしろ。ただし自分の身は自分で守れ。」

政府は発見された〈それら〉をこの星へ狩り集め、その性質に適した実験を施しデータを採集したのちに〈処分〉していた。そのデータを蓄積し活用し、〈それら〉が発生する過程を解明するのが目的だ。それも一刻も早く、さもなければ人類と〈それら〉との数の力学は遠からず逆転するという計算結果を、中央政府のメイン・コンピュータははじき出していた。

戦士であるカイトには砲弾やミサイルが雨あられと降りそそいでくる。これが情報収集に長けているコブの実験をも兼ねているのかどうかは、カイトには判別しがたかったしまた興味もなかった。自らが政府の役に立っているのならそれこそが戦士の生きがいであり、その環境や状況は問われない。生まれたときからそう教えられて育ってきたしそれは今も何ら変わらない。たとえ目の前で赤ん坊の姿をした同族が危険にさらされてもだ。





実験は際限なくつづいていた。続行が不能になるときはデータがこれ以上採れなくなったとき、すなわち実験の対象の生命活動が停止する以外はありえなかった。カイトとコブは二人そろって一晩経ち二晩目をやり過ごした。三日目の朝を迎えたとき、さすがにカイトは不審に思いはじめた。

「また眠れなかったのか?」

カイトは戦闘中は必要最小限の睡眠しか摂らない。何か異変があればたちどころに目が覚める。ところが、カイトが細切れの睡眠を繰り返す中で、コブの眠った姿を一度も目にしていないことにようやく気が付いた。寝ているかと思っても急に実験の情報をテレパシーで知らせてきたりする。

「コブ。おまえは、・・・眠らないのか?」
《・・・キミの気のせいだよ。》
「そんな言い訳が私に通用するとでも?」
《ボクは並みの赤ん坊じゃない。理由はそれでじゅうぶんでしょう?》
「・・・。」

どうやらコブは独特の生体リズムを持っているらしかった。ESPの代償なのかどうか、どのみちそれはカイトの知識も想像も及ばないのだろう。カイトはそれ以上コブを追求するのはやめた。無駄なエネルギーを消耗する必然性はどこにもない。

今日も二人はなんとか生き延びた。陽が暮れると満天の星が輝きを増し、その真ん中に明るい月が浮かび上がった。

《今夜は満月かな。月がいやに大きく、はっきりしてるよ。》
「そうか。」

朝の経緯(いきさつ)をまだ覚えているらしく、今夜はカイトはすぐに休もうとはしなかった。コブを両手で包むように抱いたまま、あやすように優しくゆっくりと揺らしている。しばらくそうしていたがそれでもコブが眠る様子がないので、やがてカイトの腕の動きが止まり、ふうっと深いため息をつくのが聞こえた。

《ボクのことならかまわないで、先に眠りなよ。でないと身が保たないよ?》

カイトを気づかうコブのテレパシーが届いたのかどうか、カイトは沈黙のあと、ぽつりとつぶやいた。

「私は戦闘が専門なのだから、だみ声でも我慢しろよ。」
《なに?》
「私が幼いころ、保育ロボットがよく歌っていた。ということは、おまえに歌っても害はないだろう。」

そうしてカイトはゆっくりと、ささやくように歌いはじめた。彼の少し低い歌声はさえぎるものもなく、荒野にしみわたっていく。

Schlafe, mein Prinzchen, schlaf ein
Es ruh'n Schaefchen und Voegelein

その歌はいにしえの子守歌で、コブは知識として知ってはいたが、だれかに歌ってもらったことはなかった。まだヒトに父親と母親が存在していた時代の歌詞はカイトにも意味不明だったが、ロボットの合成された電子音にせよ、そのメロディを聞かされると意味もなく心が安らいだ。

Garten und Wiese verstummt
Auch nicht ein Bienchen mehr summt

コブは我知らず、小さくてつぶらな目を閉じた。
《明日目が覚めたら、東へ戻ろうよ。ボクたちがここへ捨てられたカプセルの残骸がまだあるはずだ。それを活用すればなんとか宙(そら)へ上がれる道も開けるだろう。》

Luna mit silbernem Schein
Gucket zum Fenster herein

月光が逆光に透ける髪をゆっくりと揺らしながら、カイトはコブを抱いて途切れることなく歌いつづけた。その合間に、コブの提案に是とうなづくでも、非と切り捨てるでもない心話が肌を伝わってきた。

Schlafe beim silbernem Schein
Schlafe, mein Prinzchen, schlaf ein
Schlaf ein, schlaf ein

砲弾の嵐を伴奏に、心地よいオルゴールのように、荒野にかすかに響く戦士の歌声を、地平線の彼方をも見透かす赤ん坊はいつまでも聞いていた。

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僕はちょっとものしり (作 ブーハさん)

小学3年の息子は,自分のことを「ちょっとものしり」と言っています。それに,幼稚園以来担任になった先生はどなたも「○○君は,難しいことをよく知っています」と言います。(幼稚園のときの名言は,「水が蒸発した」でした)家族の誰もが子ども相手に難しい言葉を使うことが多くて,息子も楽しんで意味を聞いているといった感じです。それに,やたらとテレビの教養番組を観るのが好きで,新しいことを知ると家族に報告しにきたり,わからないことをよく尋ねてきたりします。そんな彼に私も意識して小難しいことを教えて楽しんでいるのです。
「ジャジャジャジャーン」で始まる名曲。
彼に「この曲何だ?」と尋ねる人がいたら,びっくりするか,首をかしげるかどちらかでしょう。びっくりした人は,クラシック通の人。首をかしげた人は,あまりくわしくない人。
なぜなら,彼は「べーとーべんのごばん」と答えるからです。
誰もが知っているクラシックの定番のこの曲。正確に言うと,ベートーヴェン作曲の交響曲第5番です。俗に言う「運命」というのは,日本だけの言い方です。冒頭の「ジャジャジャジャーン」の意味を尋ねられたベートーヴェンが「運命は,かく戸を叩く」と答えたとかで,こういう愛称がついたようです。この名前がなかったら,こんなに有名でなかったかも知れません。
ところで,その昔,「今度,ブラームスの5番を演奏します」と言われて首をかしげたことがあります。ブラームスは,交響曲を4番までしか書いていません。これは,何の5番でしょうか? 答えは,ハンガリー舞曲の5番でした。
「誰の何番」と言う場合,それは交響曲第何番という意味だということが暗黙の了解なのだと思います。だから,「ブラームスの5番」と言われて意味不明となるのでしょう。
さて,話が初めに戻って。
近く行われるアマチュアオケの演奏会の券が2枚手に入りました。うちには,小学3年生の息子の他に,幼稚園児の娘と,10ヶ月になる息子がいます。入場できるのは,小学生以上。託児できるのは,1歳以上の未就学児。どうやっても,10ヶ月の息子はお留守番です。(よもや,ばあちゃんに子ども3人をお願いして,夫婦で出かける勇気はありません)
そこで,下の二人はお父さんにお願いして,ものしり息子を初めて演奏会へ連れて行くことにしました。
では,行く前に彼にプログラムを教えておきましょう。
 「エルガーの威風堂々第1番,チャイコフスキーの白鳥の湖,それから,チャイ4とタコ5だよ。」と・・・

音楽駄洒落川柳三連発 (作 くりるん♂さん)

○民謡の練習中は見んように

○オペラ界新演出は過激なり

○音楽家さすが譜面は踏めんぞな

『ムゲン』二題 (作 くるりんさん)

『夢幻』

こんな夢をみた…、漱石でも黒澤監督でもありません。最近どうも夢見が悪く、駅のホームで駅弁を買ったり立ち食い蕎麦を食べていてディーゼル列車に乗り遅れる、或いは乗り過ごす(=降り遅れる)ような夢ばかり見ます。しかも、車内に荷物を残したまま発車するという…。その荷物が、何だか知らないけれどケースに入った楽器だったりして…。駅に電話をして荷物を取りに行こうとしたら、音楽に関する100問テストに74分で答えられたら(正解が多ければ)荷物を渡してやるとまで言われるのです。

74分って…、オープンリールの次に出てきた当時のカセットは30分刻みだったように思いますが、近年のMDやCDは74分か80分。実は私、「74分」と正確に発音できません。正しくは「74ぷん」なのに、口が勝手に「74ふん」と言ってしまうのです。40ウン年間の大きな間違い、今さら直るのでしょうか?

横道にそれましたが、そもそも何故こんな夢ばかり見るのか? 深層心理でも勉強しなければわかりませんが、原因の1つに「音楽にまつわる小話」という宿題があります。
この間、コンサートを聴きに行く機会が2度ほどありますから、まぁ、演奏中にでも考えるか…という実に不謹慎な(演奏家に失礼な)気持ちでいました。
そしてそれは、あるピアノ協奏曲の演奏中に沸いてきたのです。こんな態度でいいのでしょうか?!



『無限』

それは、2000年の夏だった。彼女と私は大きな花束を抱えて、あるホールへと向かった。ベルリンフィルのチェロ軍団による、「ブラジル風バッハ」が話題になっていた頃でもある。その日は、S幌のチェリストたちが集うコンサートであった。グリーグの「ホルベルク組曲」やヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」も勿論あったが、私たちの心を捕らえて離さなかったのはパッヘルベルの「シャコンヌ ヘ短調」であった。パッヘルベルと言えば「カノン」、「シャコンヌ」と言えばバッハをすぐに思い浮かべるが、その日初めて聴いたその曲の何とも言えない物悲しさに、私たちは泣いた。その曲に恋をした。恋に恋するように。。。

原曲はいったい何なのか? チェロではないだろうし、時代からしてピアノでもないだろう。翌日から、私たちの楽譜探しは始まった。楽器店を廻り、山のような譜面の中から見つけ出したのは、ピアノピースだった。原曲はパイプオルガン、そのピアノ編曲版であった。チェンバロ演奏によるCDも出ているようだが…。そしてその日から、涙ぐましい練習が始まった。少なくとも、私は。
何故なら、5本の指が変形し始めたからだ。猛練習の結果、弾けるようになった時の喜びは喩えようがない。

よく、カラオケでストレス発散などという話を聞くが、自分はたぶんピアノを弾くことで、ピアノに没頭することで、ストレスを発散していた可能性がある。そして、10本の指が変形して全く弾けなくなってしまった今、ピアノの前に座るのは私にとって拷問である。
もう忘れよう、忘れてしまおう。陽の当たるところよりは日陰が、安らぎよりは憂いが好きだったではないか。そうだ、「芸」のためなら女(男)を泣かせてもいいって本当? つい最近ある既婚女性作曲家も、恋をしていないと曲が書けないと言っていた。真実だろうか? それを探るため、これから限の無い旅に出る。。。


        
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