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びおら弾きの微妙にズレた日々

「未完成」を未完成にしないために

ホームオケでの演奏会本番が少しずつ迫っている。
今期は第九と未完成(もちろんシューベルトの第7交響曲のことね)という、これで人が集まらなかったら嘘でしょ、というほどの超有名曲のとりあわせ。

本番まであと一ヶ月半……もない。しかし相変わらず仕事のシフトがひどくて土曜日はなかなか休みがまわってこず、仕方ないので有給を使い果たす勢いで発動させ、本番までの残りの練習日を確保することにした。

先日の土曜日は、指揮者来団日で、私にとっては今期初めての来団日。でも以前ブラームス1番を演奏した時にお世話になった先生なので、おおよその傾向はつかめている。
恐らく未完成はたくさん突っ込まれるだろうと予想していたらその通りだった。

ベートーヴェンの少しあとに生まれたシューベルトは、歌曲王とも言われるように美しい歌をたくさんかいた。そのためか、交響曲にしても、そのまま歌にできそうな美しいメロディが散見されるし、音楽としての表現も歌に似ている印象を受ける。

ということは、一見シンプルに書かれた音符の中には時と場合に応じてさまざまな表情や意味が込められているわけで。
例えば同じレの音でも、主和音の中に置かれるか属和音の中に置かれるかで違う響きを演出しなくてはいけない。また和音の進行も着地点を見据えながら進めなくてはいけない。

楽譜通りに演奏すればそれでよい、というわけでは決してないのだ。楽譜に書かれている内容はいわば数値であり、実際に演奏する際には数値に優先して感情の流れが表せなくてははならない。きゅーっと緊張する感じ、溜め込んだ感情が爆発して弛緩した感じ、行き先がわからなくてさまよう感じ、そういったものをすべて感じて表現する必要がある。

これらの「感じ」をオケ全体で共有できれば、音楽の流れは自然になりリズムも自ずと合ってくる、と指揮者の先生は言われた。フレーズのわずかな伸び縮みも無理なく処理できるようになるという。
難しそうに聞こえるけど、実はそうでもない。曲を聞きながら「今自分はどんな心持ちで音を聞いているか」をきちんとモニターすればいいのだ。
やっぱり難しいかな。ではこう言い換えたらどうだろう。心の目で見えないものごとを見るように、心の耳で音楽を捉えてみたらどうだろう。
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