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びおら弾きの微妙にズレた日々

早すぎた本番(あるいは遅すぎた本気)

前日にいろいろ考えすぎて頭がもやもやしたままベッドに潜り込んだら、あっという間に本番当日の朝。日曜だからとのんびり寝ている家族を後目にさっさと身支度を調え、洗濯物干しは子どもたちに押しつけて出発。

ゲネプロは前日リハと同じように、危ないところはみっちりと、なんとか大丈夫そうなところは潔くカットしながら進んでいった。オケ全体の空気としては、前の日よりさらに本気度が上乗せされていた感じ。
このあたりから、指揮者ミカリン先生の表情が、本番に備えて豊かになってくる。そのお顔を拝見するだけで今、どんな表現をすべきか伝わってくるという素晴らしさ。今回も全曲サイド席で、先生の真ん前なのでオーラがビシバシ伝わるのなんのって。棒読みならぬ、棒弾きはナシ!てことがわかるので、おへその辺りに力をこめ、背筋をのばして、ごうごうと弾いてみた。後ろの人たちにもミカリン先生のオーラはちゃんと伝わっていただろうか。
本番というのは、たいてい「気がついたら終わっていた」もので、今回は強烈な記憶は1箇所を除いて、ほとんど残っていない。ぽつぽつと各方面で事故があって、冷や汗をかいていた記憶はある。特にシベリウス5番。
ちなみに、本番中に個人的な感慨にふける余裕がある場合は、音楽の世界に浸り切れていないという意味で、逆に要注意だ。演奏が醒めている可能性がある。
完全に音楽の流れに乗っている時は、無我夢中であり、しかるべき音を出すことに集中しているから、かえって頭の中が真っ白だったりするわけ。
よく覚えているのは、陶酔するようなミカリン先生の表情が本当に素晴らしかったこと。その表情、身振りにうまいこと乗せられて音楽が導き出されていったように感じる。

音楽は感情を扱う芸術だと思うのね。クラシックだと理論や構成に重きが置かれるけれど、それにプラスしてどれだけ人の心を動かすか、が鍵。だから、奏者(特に指揮者)は自由自在に喜怒哀楽を表現できなくちゃいけない。悲しい旋律はいかにも悲しそうに、楽しいメロディは思い切り楽しげに、という具合。自分はそんな気持ちでなくても、それらしい音を作り出すのが仕事。
そういう意味で、先生の音の作り方はまさにプロだなあと感嘆したのだった。

そのミカリン先生が終演後に団員の前で挨拶をされた。今日の演奏は、いろいろ事故があったが、それでもなおベストの出来だった。しかしあと2週間早くこの状態になれれば、もっといい演奏ができたし、それは全然不可能ではないと。
この段階でうるっと来たけれど、先生はさらに、けっして技術的にレベルが高いわけではない私たちのオーケストラに対して「もっと素晴らしい演奏ができる可能性が充分あります。次回はもっとたくさん練習に来るようにしますのでいっしょに頑張りましょう」とまで言って下さった。一介のアマオケでしかない私たちのためにそんなにも時間を割いて下さるのかと思うと、胸がじーんとした。つぎのマラ5も真剣に取り組まなくては、と思わざるを得ない。(思うだけで、なかなか行動に出てないのでアレですが)

終演後に回収したアンケートではお褒めの言葉をたくさんいただいた。辛口の意見が少ないと言うことで、我らがパートリーダーはご不満だったようだが、たとえお世辞でも誉めてもらえる演奏ができた、ということは自信にしていいんじゃないかと思う。少々間違いがあったとしても、感動してくれた人がいたわけで、それがコンサートを開いてお客さまを呼ぶ意味なんだから。

しかし、シベ5のあそこだけは、カウントがずれてしまって悔いが残る。せっかくビオラーズが担当するメロディだっのたのになぁ。またシベリウスやりたい。1番大歓迎。6番でも7番でもタピオラでもどんと来い!
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