4月から仕事を変えた影響で、オーケストラ練習の出席率がダダ下がりな日々。それをなんとか補うべく、練習録音に耳を傾けるようになった。
(祝祭管では、指揮者来団時には必ず練習を録音して団員に配信しています。もちろん門外不出)
ここ数年は、ますます手軽に録音機器が手に入るようになったし、ネット環境の進歩のおかげで、大容量の録音ファイルのやり取りも、ずいぶんハードルが下がってきた。家事をしながら、自分のタブレットに取り込んでおいた録音を聞くこともできる。実にありがたいことで。
(少々横道にそれるが、再生機器は選んだ方がいい。同じ音源でも某華為製のスマホから聞く音と、型は古いがNexus7から聞く音では、スッポンと月ほども違う)
ここから本題。
もともと自分は、演奏録音はほとんど聞かない。もちろん、自分の演奏を録音してあとから聞き返す、というのは上達法としてとても有効なことは知っているが、なかなか実行するには至らない。
自分が参加した練習であれば、もう練習内容はわかっているし、なかなか落ち着いて聞き返す時間がないというのも大きい。それに日頃の寝不足がたたって、せっかく聞いても寝落ちする確率が高い。
しかし、先日(5月)の来団時の録音はすごかった。今期、はじめて歌手の方々が参加した回というのもあって、寝落ちするどころか、目が冴えた。声の力はすごい。
素晴らしい歌声を堪能できた以外に、主な効用としては、
- 音楽の大きなうねりを理解することができる。
- 「弾けてる・弾けてない」とは別の意味で、残念な箇所が具体的にわかる。つまり、ドラマの進行にはそぐわない音の出し方をしている箇所が一目……いや、一聴瞭然。
- 長時間聞いているうちに、自然と「ジークフリート」という曲が身体に馴染んでくる。たとえ寝落ちしても、ある程度睡眠学習は可能。←コレ、かなりポイント高い
という具合であります。やはり、客観的に聴くことは大事。
ただし。これは、大人数で演奏しており、しかも欠席した時の録音だから気軽に聞ける。もし自分の音が聞こえるような状態だったら、気分はほとんど罰ゲームになるだろう。実は、自分の演奏を録音しない理由がコレなのだ。
ここ十年くらいで少しはマシになったが、昔から鏡は苦手でどうしようもなく、だから過去の演奏会DVDもほとんど見れていないという「何のために買ったの?」状態だったりするわけだ。
そこから脱出できれば、色々と人生好転するような気はするのだけどねぇ(嘆息)
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