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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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「あるはずのものがない」が意味するもの(あいちトリエンナーレ)

あいちトリエンナーレ、豊田、名古屋市美術館に続いてようやく本丸である愛知芸術文化センターへ。さすがに展示作品数は多い。が、先だっての事件に関連して展示辞退や内容を変更した作品が目立ち、トリエンナーレとしては作品数が少なめの印象がぬぐえなかった。


展示変更となった、レジーナ・ホセ・ガリンド《LA FIESTA》
パーティの様子を写すはずが「祭りのあと」へ。




全体としての印象は、①社会的メッセージを前面に押し出した作品が多い、②情報と知覚の関わりをテーマにした作品が多い、③参加型プロジェクトが多い、だ。

3年に一度開かれるあいちトリエンナーレは、面白いくらい時代の空気を反映している。今回の社会的メッセージの強い作品の多さは、今の日本だけでなく世界的な動きを見れば、ああなるほどと頷けるし、ウェブ世界やIT機器が日常生活に欠かせなくなったことを思うと、それらとの関わりかたも単なる「道具」を超えて、世界の認識方法に影響を与えるものになってくる。また、SNSの普及などで作家と観賞者が気軽に接触できる時代になり、リアルの場でも参加型のアート体験ができるのは、とても歓迎するべきことだと思った。

メッセージ性を売りにしている作品に関しては、「アート」ではなく「表現」と呼んだほうがしっくり来るものが多く、表現とアートの境目はどこにあるのかが気になったが、メッセージ性の強い作品ほど展示辞退の割合が高くて残念だった。

以下、印象に残った作品の紹介。



ジェームズ・ブライドル《ドローンの影》
偵察用ドローン機の実物大のシルエットを地上に描写。
(そこって、先月カミタソの本番前に友人と散歩した、まさにその場所じゃん!)


今年のトリエンナーレの看板作家にもなっている
ウーゴ・ロンディノーネ《孤独のボキャブラリー》
この作品もあわや展示辞退かと一度は騒がれたが、事なきを得て無事に鑑賞できた。
このピエロたち、全員同じ表情のマスクをつけ同じ型の服を着ているのだが、布の色やデザイン、体勢やちょっとした顔の角度の違いで、皆それぞれ違う個性を持った個人に見える。
何より、どれも可愛い(そこかいw)



文谷友佳里《ガラスドローイング》(手前のガラスに書かれた作品)
《なにもない風景を眺める》(額の中の作品)
どれだけ見ても何かの形になりそうでならない、ふしぎな物体たち。
踊るかのように伸びたり丸まったり群れたり、まるで音楽を奏でているかのような線画。
※実は、この作家さん、瀬戸現代美術展にも出品されてます。


ミリアム・カーン《美しいブルー》(右)
《私たちこども(月経期間に描いた)》(左)
この作家さんは、見るからにヤバい雰囲気満載。
心の奥底に潜む悪夢のような風景を具現化してしまう。
青い海の中へ引きずれ込まれていく人影は何?
血の色を背景にたたずむのは本当にこども?



アート・プレイグラウンド「あそぶ」
広い部屋の中には、ダンボールを素材にしてどんどん増殖する秘密基地、いやいや遊び場が!
建築家の遠藤幹子氏、アーティスト日比野克彦氏、そして「ダンボール研究会」(県内の小学生)の手により、日々進化を遂げているという。
この企画、自分が小学生の時にあればなあと、本当に羨ましい限り。

と、色々写真付きで上げたが、いちばん面白く感じたのが伊藤ガビンの「没入型」インスタレーションだった。映像による雑誌とは! 遊びとアートの境界を軽やかに行ったり着たりする様が実に楽しい。小難しい理屈を重ねずとも、声高に現実世界の歪みを叫ばなくとも、新しい切り口で世界を見せてくれるアートはある。私はそういうのが好きだ。

そしてもうひとつ、今度は真逆の方向で、人々の「自由」に対する感度を試すような参加型インスタレーションが強く印象に残った。それは閉ざされてしまった某企画展の扉に、個人個人の「不自由を感じたエピソード」をポストイットに書いてどんどん貼ってゆくというもの。これは、名古屋市美術館で展示変更を行ったモニカ・メイヤーと、円頓寺で《声枯れるまで》を展示しているキュンチョメの共同企画だそうだ。
自分が見に行った時点では、エピソードというよりも意見・主張を書いたポストイットが大半だった。それだけ「自由」の侵害に対するアンテナが鈍いのだろう。実際、自分で考えてみると差別を受けたエピソードを思い出すより難しい。どんな状況に置かれていようが、本人に不自由の自覚がない限り自由への渇望は生まれない。
考えあぐねてよほど「自由=不自由」とか「自由=マネー」と書いて貼ってみようかと思ったがカッコ悪いし、そもそも体験談にすらなっていないのでやめた。
せめて写真に撮って記録として残そうかと思ったが、しばらく考えてやめた。こうやって書くと語弊があるかもしれないが、なんとなく「不謹慎」な気がしたのだ。これは自分で自分にかけた不自由の枷なのかもしれない







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