びおら弾きの微妙にズレた日々

「ブリューゲル」て一族の名前だったのね

久しぶりの豊田市美術館は、スーパーカブに乗ってブリューゲル展へ。GWのさなかだけあって、駐車場は満杯でしたが、原付なので二輪置き場でOK。

美術館前の庭ではマルシェ開催中だったので、軽く冷やかしてから館内へ。
  


実は軽い気持ちで見に行ったブリューゲル展、本物の絵画を前にしたら、得も言われぬパワーに圧倒されて何も言えず。宗教画であれ風俗画であれ、ひたすら細かく描きこまれたリアルで豊かな森の風景や人々の暮らし。そこには説教くささなど微塵もなく、世界に対する深い愛があるように感じられた。その愛というのは、美しい風景の後ろに神の存在を感じ、そのような美しい事物や世界を生み出した神への感謝の念と一体化しているような愛だ。それはDNAに刻まれているかのように4世代にもわたって保たれた。

ブリューゲル一族は「絵の職人」と言ってもよく、守備範囲は宗教画、風俗画、静物画と広い。風俗画では民衆の生活をコミカルなぐらい生き生きと描き、花の静物画はただ美しいだけでなく、あふれんばかりの生命力が素晴らしい。
また、宗教画は雄大な自然を背景にして描かれるのが特徴とされるが、さらに少し独特な雰囲気がある。それらの絵はたいてい、前面に神々や天使が配置され、奥の方にフランドルの風景や民衆が憩う姿が描かれていたりする。このタイプの絵で特徴的なのが、神々のまわりは決まって色とりどりの果物や珍しい花、インコなど異国の鳥で彩られており、楽園という結界に包まれていること。反面、背景はフランドルのやや地味な風景で、小さく登場する農夫は絵画が書かれた当時の姿だったりして、とても自然なたたずまいを見せている。ひとつの絵の中に二つの時空がさりげなく同居しており、見れば見るほど興味深い。

これはあくまでも個人的な感じ方だが、リアルな描写に徹したブリューゲルの画家たちは、実際に目に映るものの向こうに、まるで透かし絵でも見るような感じで神々の世界を見ていたように思える。
たとえば農作業をしたり、市場へ向かう道中で一休みしているときなど、誰が見ていなくとも神々の世界はすぐそこに現出しているというような描かれ方だ。絵の中で、神々の世界は人々の日常に重なるようにして存在している。あたかも『精霊の守り人』に登場するサユとナユグ、あるいはアボリジニの「ドリームタイム」のように。

ブリューゲルの画家たちは彼らの目に映る世界を愛し、それをひたすら描くことに生命をかけていたのだなと強く感じる。だからこそ、数百年の時を経てなおパワーを失わない作品が生まれたのだろう。