三連休の間に、愛知トリエンナーレ・愛知芸術文化センター会場(愛知県美術館が主会場)へ行ってきた。
知ってる人は知っていると思うけれど、芸文センターは名古屋のど真ん中・栄の地にある。11階の窓からはオアシス21とテレビ塔が見える。楕円形のお皿とその下の広場がオアシス21。お皿の中には人工池があって、その中にはトリエンナーレ期間限定で、テントウ虫、あるいはヒョウタンのような水玉模様のオブジェが浮かんでいる。愛トリの販促グッズをデザインした草間彌生氏の作品。
↑の水玉模様の花は、同じく草間氏の作品で、展示室前のロビーに置かれている。人の背丈より大きい。つい「トモダチ」を思い出してしまうのだけど、それは花弁の中心からじっと鑑賞者を眺めている一つ目のせいかしらん。
8月に見に行った市美術館では、大物を少数ピックアップして展示していた一方で、今回の県美術館はとにかく大小取り混ぜて展示作品の量が多い。中でも映像作品が多めだったので、見るのにちょっと時間がかかった。もちろん面白かったですが。
興味深いのはアジアの作家が半分以上を占めていて、彼らの作品は総じてパワフルかつ意識が外(社会)へと向いていたこと。自分だけの世界にこもってない。
↑は、フィロズ・マハムドというバングラディシュ生まれのアーティストの作品。豆と穀物で作られた戦闘機。左の写真が後ろから見た全体像で(携帯から撮ったのでブレてます、すみません)、右が細部のアップ。「ここはレンズ豆。これはお米、ここはコーン?」という具合に模様ごとに使い分けてあるのがわかる。
戦闘機と豆、というギャップに面白みを感じるか、それとも兵器が国民の血税で作られていることを示していると見なすか、解釈は人それぞれ?
インドのアーティスト、ヘマ・ウパディヤイの作品。街のミニチュア模型で、かつて小学校の学習発表会で自分の街のミニチュアを作ったことを思い出した。小学生の作品と違うのは、混沌とした町並みを、細い通路の両脇に縦に並べて見せるというアイデア。鑑賞者は否応なく奇妙な圧迫感にさらされる。街がひしめき合うオブジェのかたまりに見えてくると同時に、細部を見るとやはり生活感漂う懐かしい空間であり、両者相まって、不思議なエネルギーを感じさせてくれる。
それにしても、現代アートは本当に何でもありだ。
写真は撮れなかったけど印象的だったのが、
・迷路のような空間に実物大の動物の彫刻を置いた作品(三沢厚彦 + 豊嶋秀樹)
・牛の皮で作られた巨神兵ならぬ、展示室内の空間をまるっと占領する巨人(ジャン・ホァン)。
・透明な板でふたをしたボートの中に、ナフタリンで作ったさまざまな靴をならべ、それが少しずつ揮発して消えてゆくさまを見せた、非常にデリケートで繊細な作品(宮永愛子)
・ガラスの向こうに見える無機質で不安をかきたてながらも、決して中には入れない部屋(タチアナ・トゥルーヴェ)
などなど。
表現方法としては、何でもアリの現代アートなんだけど、その底に見えるのは、各々のアーティストが世界に対して抱く、どうしようもない不安や齟齬、葛藤、そして疑問と好奇心だった。
世界は本当に見たままなのか、そもそも、見る・聞く・感じるということはどういうことなのか。普段と違うやり方で世界を見ることはできないのか、解体は可能なのか。アーティストはどうにかして不安や疑問を表現しようとさまざまな試みをする。
……てゆうか、それがないと、身体を張って芸術なんてする気になれないよねぇ。
そして鑑賞者はアーティストの提示する、ある意味グロテスクな世界観に触れて、世界の見方が変わる……こともあるんだよね。
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COMMENT
面白そうですね
Re:面白そうですね
世界規模の企画といえば、その昔、名古屋でデザイン博がありましたよね。デザイン博は箱モノというか、都市そのものをデザインする大がかりな企画でしたが、それのアート版という感触があります。
会期は今月末までですから、それまでに帰省のチャンスがあれば、ぜひ足を運んでみて下さい。zuncoさんのツボにはまる作品がきっとあります♪