愛知県陶磁美術館で開催中の、〈ギリシャ陶器「古典の誕生」 〉展を見てきた。週末だというのに、ほとんどお客がいなくてガラガラだったけれど、お陰でじっくり見ることができた。とても興味深い展示だった。
最初に、本物のギリシャ陶器を展示してあるコーナーから入るのだが、ここですでに心を鷲掴みにされる。均整のとれた美しいフォルムはもちろん、用途別に把手の形や位置を変えて作られている機能性。また、どんなふうに各種油壺や水差し、酒盃が使われたかまでキャプションで説明されているので、当時のギリシャの生活習慣を垣間見ることができ、それだけでご飯三杯はいけるほどの妄想力が発動する。
(いやいや、マジでギリシャ人男性が香油入りの小瓶を首から下げて持ち歩いていたとか、何をしまっておいたのかとても気になる蓋つきのアクセサリー入れとか、「アイ・カップ」という、人の目の模様が側面いっぱいに描かれた浅い取っ手付きの盃がひっかけられている台所の壁、持ち運び用の取っ手と注ぐための取っ手が2種類ついていてとても使いやすそうな水がめや、各種ワイン壺が並んでいる様子とか、想像するだけで楽しくないですか)
ギリシャ陶器の装飾は、釉薬がまだ開発されていなかったため、赤いの陶土の上に黒色スリップ(泥漿=でいしょう、水でゆるめた粘土)で着色してある。赤褐色の地に黒で模様を書き込んだり、逆に黒いスリップを掻き落として赤い地色を浮き上がらせたりする。色彩的にはモノトーンだけども、神話の一場面が力強く再現されていたり、余白は幾何学的な植物文様で埋められていたりして、とても洗練されたデザインだという印象を受ける。
さて、それから数百年の時を経た、近代ヨーロッパ。芸術家たちが古典に回帰する時代がやってくる。彼らにとっての「古典」とはすなわちギリシャで。哲学思想はもちろん、文学や美術の分野でも古代ギリシャは特別な意味を持つ。
次のコーナーでは、古代ギリシャへのオマージュとでも言うべき近代の芸術が紹介される。まず、陶磁器の分野では、フランスのセーブル窯。セーブルは王室御用達の窯で、「ブリュ・ド・ロワ(国王の青)」や精緻なロココ様式が得意だったのだが、ギリシャに由来するモチーフを使った古典的デザインにも優れていた。ここからは私見になるけれど、セーブルにやや遅れて、フランスの一大陶磁器産地となったリモージュは、古典や正統的なデザインでは太刀打ちできないので、逆にブルジョワ相手にアールヌーボーという新しいデザインへ踏み込んでいくしかなかったのだろう。
同じ時代、絵画の分野では、ギリシャ神話の場面は絵の題材としては定番になり、色彩豊かなユートピアとしての神話世界が描かれる。ギリシャの壺にももちろん神々は描かれているが、そのシンプルさ、ストイックさと比べると「ずいぶん遠くに来たもんだ」と思ってしまう。
続いて、クリムトやカンティンスキー、さらにピカソがどのように古代ギリシャの神話モチーフを自作に取り入れたかが紹介される。これも理想や象徴としての神々で、ギリシャ由来の神々を使うことで、正当性を主張しているあたり、やはり「ずいぶん遠くに(以下略)」。
最後のコーナーは、日本の芸術作品に対してギリシャが影響をおよぼしたもの、という視点での展示。日本に対するギリシャの影響といえば、未だに法隆寺の「エンタシス」(真ん中がわずかにふくらむ柱)しか思い浮かばなかったので、ここも「へぇー」だった。でも思い起こしてみれば、近代のヨーロッパ経由での伝播以前に、もう奈良時代にはシルクロード経由でギリシャ芸術の影響が仏像や寺院に表れているのだった。美は正義だね。
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