トリエンナーレが終わって寂しいと思う間もなく、名古屋市美術館では刺激的なアート展を開催していた。
ハイレッド・センターとはなんぞや、何か現代美術の制作拠点なんだろうかと思っていたら、現代芸術家三人組ユニットの名称だった。若き日の高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之が意気投合し、それぞれの名字の最初の一文字をとって……高→high 赤→red 中→center、三人合わせてハイレッド・センターの出来上がりというわけ。
1963年の結成というから、今から50年前、自分が生まれる前の出来事だ!
彼の行動の軌跡を、写真や関連資料で辿ろうという試み。
50年前に彼らが繰り広げた「直接行動」の数々は「イヴェント」と称されているが、現代風に言うならパフォーミング・アーツとでも言うべきもので、その
おバカ加減 羽目の外し具合が
ひどい すごい。
たとえば「山手線事件」。「コンパクト・オブジェ」を持った中西が、スーツ姿で電車に乗り、何食わぬ顔(途中からドーランで顔を白く塗り固めた)でオブジェの中を懐中電灯で照らしてみたり、駅のホームに降りてそれを舌で舐めまわしてみたり。
「コンパクト・オブジェ」というのは、身の回りのガラクタをアクリル樹脂の中に放り込んで固めたもので、巨大なたまご型をしている。長さは30センチくらいあるだろうか。持っているだけでかなり人目を引く。それをこれ見よがしに中を覗きこむのだから、電車の乗客はさぞ気味が悪かっただろうと思われる。(しかし、パフォーマー自身も乗客の視線に耐え切れなくなったのか、予定では山手線を一周するはずが途中で下りてしまったらしい)
また、高松はスーツケースに隠し持っていた「紐」を駅のホームの柱に巻きつけたりするなど、やはり奇妙な行動をとる。乗客はやはり胡散臭そうにでもどこか興味を惹かれたかのような視線で見守ったり通り過ぎたりしてゆく。
今同じことをしたら、駅員や通行人に通報されておまわりさんに説教されそうな勢いなんですが。もちろん写真を見る限りでは、公共の器物を損壊したり一般人に絡んだりしたわけではなく、淡々とオブジェを愛でていたように見えるが、人の集まる場所でわけのわからない意味不明な行動をとるだけで不審者の資格が十分にあるのが今の時代。
しかし、彼らの目的は「現実の撹拌」なので、波風の立たないパフォーマンスでは意味がない。人の目を引いてナンボだからね。
奇妙なパフォーマンスがいくつか紹介されていた中で、一番の圧巻は赤瀬川原平が引き起こした千円札裁判。芸術作品として千円札の精巧なコピーを作ったのだが、それが偽札作りと認定されてしまった事件だ。もちろん作家本人は抗議し裁判でも戦う。それだけではなく裁判の過程までもがアートに仕立てられ、公開され、広く世間にハイレッド・センターの存在を知らしめることになる。「転んでもタダでは起きない」どころかがっつり儲かっているような気がしないでもない(実際、裁判過程のアート化は、裁判を続ける資金を作るためでもあったようだ)。
決して「直接行動」を不快に思っているのではなく、むしろそれができてしまった時代が羨ましいと感じた。今のパフォーミング・アーツは、確かに面白くはあっても、もう少し上品だもんな。
そして現代の「現実」は人智を超えた何者かの手によって撹拌され続けているよ……。
ハイレッド・センターは1964年の「首都圏清掃整理促進運動」を最後に解体してしまったが、あのような荒々しいパフォーマンスの精神、「現実を撹拌する」精神はその後、ライブハウスや小劇場の中へ移動したように思う。
「直接行動」の軌跡を追いながら、頭の片隅ではずっとP-MODELのことを考えていて、脳内BGMはGipnozaが流れていたのだった。
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