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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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「シューベルト」

演奏会パンフレットの曲目解説を頼まれまして。
お題はシュベルトの「未完成」なのですが、資料として伝記に目を通したらそれがとても優れた評伝で感激した次第であります。


シューベルトについて、彼の音楽性を当時の社会情勢と絡めながら詳細に分析した伝記本。彼が生涯のほとんどを過ごした当時のウィーンの様子も詳しく描かれており、音楽家は時代の流れと無縁ではいられず、その作品は意識的あるいは無意識のうちに影響を受けていることが丁寧に描き出されている。

シューベルトの生没年は1797-1828。生涯のほとんどをウィーンで過ごす。ベートーヴェンの没年が1827年だから、シューベルトは古典派を代表する巨匠とほぼ同時代、同じ場所で生きたことになる。
ところが、ベトベン御大は古典派最後の巨匠、シューベルトは初期ロマン派と分類されている。ベートーヴェンとその師匠であったハイドンの間に深い溝があるように、シューベルトとベートーヴェンの間にも(シューベルトがベートーヴェンを尊敬しその楽曲を研究していたにもかかわらず)時代の変化によってもたらされた明確な溝があった。

彼らが生きていたのがどんな時代かというと、主に社会制度と経済制度、2つの面で「現代」が始まる大転換期だったのだ。
まず、社会制度では、フランス革命に象徴されるように、社会を動かす主体が王侯貴族から市民へと移った。音楽は貴族の楽しみから市民の娯楽となり、演奏される場所も宮廷やサロンを飛び出し、劇場やホールへと移る。
経済面では手工業から大量生産の時代、つまり職人から労働者の時代へ、という変化があった。職を求めて人々は都市に集まり、近郊には工場が立ち並ぶようになる。その反動として人々は田舎に「自然の恵み」を発見するようになった。工場労働者は何年たっても労働者であり、かつてのように一人の少年が親方のもとに弟子入り→技術を身につけて独立→さらに修行の旅に出て経験値を上げる→親方として認められ所帯も持てるようになる、というすごろく式の人生図式が崩れてきたのもこの頃だ。

シューベルトのシンフォニーといえば「未完成」交響曲が有名だが、実は他にも未完の作品は多い。が、それは筆の未熟というよりは、彼自身が新しい時代の風を鋭敏に感じとり、モーツァルトやベートーヴェンなどが愛用していた古い形式ではもう音楽が書けないことに気づき、模索をした痕跡だ。(もっとも、未完成交響曲が未完に終わった理由はそれだけではいらしいが、詳しくは実際に伝記を読んでみて欲しい)
なにしろ、時代の変化が早すぎて、それにふさわしい音楽の形式が生まれていなかったのだ。また、新しい形式が必要だと気づいた音楽家があの時代にどれだけいただろう。

結局シューベルトが完成させた交響曲は多くなく(その流れは後のブルックナーに続く)、その代わり、当時の時代の空気にぴったりな音楽として、後世の人々から「歌曲王」と呼ばれるほど優れたリートを数多く世に送り出した。彼が現れるまで歌曲(リート)の地位は低く、彼以前の作曲家にとっては手すさびで書くにすぎなかったし、またその存在意義も高くはなかった。

シューベルトの歌曲の凄いところはいくつもあるが、何よりも当時のウィーンの人々の心情を細やかに反映していること、それを歌とピアノ伴奏によって世界を立体的に表現していることだろう。例えば歌が歌い手の心をストレートに語るとする。すると伴奏は歌い手が立っている情景の描写をしたり、時には隠された心情をも聞き手に語ってみせる。
その最終到達点が「冬の旅」であり、この歌曲集には現代人が抱えるのと同質な孤独とかすかな癒しが十分に表現されている。19世紀前半、産業革命が広まって間もないこの時代に、シューベルトは社会から阻害されてしまう若者の姿を描いてみせた。


興味深いのが、リートは得意だったシューベルトがオペラはうまくできなかったことだ。これは、彼が深刻で明確な対立を扱うことが苦手だったことに由来するらしい。日常生活において良き友人に恵まれた彼は、音楽の上でも対立よりも親密さを好んだ。そのためか、対立するはずの2つのテーマはすぐに打ち解けあいたがり、結果として(例えば)ベートーヴェンのような壮大な構築物は生まれない。あるいは当時のウィーンの空気からして明確な対立を避け、生活の知恵として権力との慣れ合いが当たり前になっていたことも影響しているのだろう。
病を得てからでさえ、彼は生と死という人間にとって最大の相反するテーマをなんとか融合させようと苦闘する。その果実のひとつが弦楽四重奏曲「死と乙女」だったりするわけだ。

「わたしが愛をうおうとすると、それは悲しみになった。そこで悲しみをうたおうとすると、それは愛になった」
これは、シューベルトが25歳の時に書いた散文「わたしの夢」の中の一節である。
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