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びおら弾きの微妙にズレた日々

否定はしない

この春から大学生になった娘が、さっそくサークルに入った。音楽系のサークルだけども、そこで友人経由で大学オーケストラについての噂を仕入れてきた。

「大学オケってすごい厳しくって軍隊みたいなんだって」
「大学に行くんじゃなくて〈オケに通う〉ようになるらしい」
などなど。

すみません、否定はしません。
そこに経験者としてもう一つ付け加えるなら
「弾けないヤツは黙る」


おそろしいですねー、こわいですねー。
何が一番恐いって、大学オケにいったん入ってしまうと、先に挙げたような恐ろしさを感じなくなってしまうところ。

軽く解説してみよう。


50人~100人近い人間がひとつの音楽を動かそうとすれば、一糸乱れぬとまでは言わなくても高いレベルで統制がとれていなくてはならず、強い組織力が求められる。「演奏においてトップの言動は絶対」だし、コンサートマスターの存在はさらに強権的。もちろんトップやコンマスにはそれだけの責任が求められるわけで、それはそれでしんどい。実際、ストレス食いですっかり体脂肪率を上げてしまったコンマスを知っている。この辺、社会人のアマチュアオケではゆるい所もあるが、学生の時はほんと厳しく、しかもその厳しさは当然のことだと思っていた。

オーケストラの曲というのは、たいていが(易しいと言われているレベルのものでさえ)正式に訓練を積んだ奏者が弾くという前提で書かれているので、初心者にははっきり言ってムリ!なレベルばかり。しかし、お金をとって演奏会を開く以上は「大学生になって初めて弦楽器触りました~」という学生であろうが余裕たっぷりの経験者であろうが、求められる完成度は同じ。
で、初心者はどうするかというと、授業の空き時間も土日もひたすら楽器の上達に邁進するわけで、さらに楽器の練習のついでになぜか先輩の下宿に転がり込んで語り合い飲み明かしたりして、まあ、自然とオケ漬けの生活になるわけだ。しかもそれが楽しいと来ている。いつの間にかM体質。

実力者=技術的に上位にある者の発言力が強くなる、というのも当然の成り行き。音楽の世界もスポーツの世界と似ていて、どうしても実力本位だし万人が平等だなんてあり得ない。スポーツに才能(努力する才能も含む)が大いに関係してくるように音楽の世界でも、生まれついての得手不得手が大きく影響してくるし、幼いころから楽器の習い事をしていたかどうかという環境の要因も大きい。生まれつきの資質とか環境は、自分では選べず、そのハンデは時間と根性で埋め合わせるしかないという不平等な世界であり、さらに悪いことに時間と根性さえあればモノになるのだと信じ込んだ初心者は授業の空き時間も土日も……(以下略)。

蟻地獄、という単語をふと思いついてしまった。

他にも不条理というか不合理なことはたくさんあったし、組織嫌いの自分にとってはあまり居心地の良い環境ではなかったと思うのだが、なぜか4年間在籍し、あまつさえ社会人になってからも続けている。このオーケストラの魔力って、いったい何なんだろうね。

音楽というのは、基本的に一人では成立しない。必ず仲間を呼ぶ。共演する仲間、あるいはソロ演奏ならば「共感してくれる観客」という仲間を。というのも、音楽の本質には「共感を集める」ことが含まれるからだ。そして共感は伝播する。
そして多くの共感を集めると、人は強い快感を感じる。それまでの苦労や不満は帳消しになってしまう。それは一種の麻薬のようでもある。

共感とともに仲間が集まれば組織が生まれる。組織を維持するためには手入れが必要だ。一番手っ取り早いのが(時として暗黙の)ルールによる統制。たとえば部活の組織のように。けれども、あえてルールを厳しく設けなくても統制がとれる場合がある。共通の目的意識を持ちつつ、各自がマイルールを持って自律的に動けること。それができれば、ふだんは自由でいながら、音楽をするときにはすっと気持ちを合わせられる集団が生まれると思うのだ。

結論:軍隊的オーケストラは正直言って辛い。が、学生の集団ならそれも仕方ないかもしれない。大人のオケは違うよ。……ていうか、違う風にしたい(>_<)
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