先日、久しぶりにオーケストラで演奏することになった。その中の一曲がベートーベンのバイオリン協奏曲。
初見で合奏に参加できてしまうぐらいなので、ビオラパートの難易度は高くない。逆に、CDを聴きながらスコアリーディングをしていると、退屈してきて眠くなってしまうほどだ。
そう、例え睡眠不足でなくても眠気を催してしまうのだ。
眠い曲にはそれなりの理由がある。まず、メリハリがない、つまりテンポや強弱の変化に乏しい。次に、ほどよく美しい。「ほどよく」というのは、耳当たりのよい音が続くと眠くなるが、あまりに美しすぎるとかえって目が冴えるからである。そして無駄に長い。
この曲の場合は一つ目と二つ目の理由が当てはまるような気がした。
特にテンポがベートーベンにしてはゆっくりである。1楽章はAllegro ma non troppo(速めに、しかし急がない)、2楽章はLarghetto(ややゆっくり)、3楽章はRondo:Allegro(ロンド・速めに) という速度指定で、3楽章のロンドでさえ、本当にワルツが踊れるくらいのテンポである。
第九の2楽章や第7番の4楽章といった、目の回るような速度を経験している身としては正直言って物足りない。逆に2楽章はゆっくりといってもカウントするのに苦労するほど遅くはなく、全体的に穏やかで軽やかな雰囲気なのである。
また、どの楽章の主題も耳に心地の良い旋律で、運命の4楽章や第九の1楽章のような力強さや激しさとは無縁であり、かといって第九の3楽章のような天上的な美しさとも異なる。
地に足がついた穏やかな曲だといえば聞こえはいいのだが、やや凡庸かとも最初は思った。
この協奏曲と同じ時期に作曲された交響曲第4番も、「巨人にはさまれたギリシャの乙女」という例えにあるとおり、彼の交響曲の中では大人しい方だと言われている。(実際に分析してみると、なかなかにしたたかな乙女であるらしい)
さて、合奏に参加して、何度もこの曲を聴いて覚えると、家事の合間にふと、頭の中で曲が鳴り響くようになる。そういう時にCDをかけてみると曲本来の持つ面白さが理解できたりする。
そうやって気づいたのが、この協奏曲は歌なんだということ。優れた演奏になると、曲調に合わせて独奏バイオリンとオーケストラが一体になって絶妙にテンポが揺れる。するとまるでオーケストラがオペラ歌手みたいに歌っているような気がしてくるのだ。 ならば他の曲、主に交響曲がどうかといえぱ、それらは音による建築物に例えられると思う。ある動機や主題を一定のルールのもとに、何度も繰り返しながら発展させ、重厚な和音をつけ、リズムで区切り、時に既存の形式を壊して見せたりする。もちろん主題が魅力的な旋律であるのは言うまでもないが、それが変化を伴って繰り返されるのが面白くて聴きほれる。
このバイオリン協奏曲の場合、聴かせどころは音の構造ではなく、歌うように流れる旋律にあるわけで、だからこそあえて歌にふさわしいテンポに設定してあるのだ。早すぎても遅すぎても歌はうまく歌えない。
さらにメロディが重厚に流れる箇所では内声部に細かい3連符を弾かせたりして、曲がだらけない工夫もなされている。こういう配慮はさすがベートーベン
また、調性はニ長調という平明な調の設定だ。(調性は♯や♭が増えるほど浮き世離れした雰囲気が出る。例えばマーラー10番の第一楽章は♯が7個ついた嬰ヘ長調で、あの世の雰囲気が良く出ている)だから流れてくる旋律は、時として哀愁を帯びるが決して激しい曲調ではなく、花を眺めたり時には空を眺めたりして野歩きするのにぴったりな、のびやかで清澄な旋律になる。
たぶんこの曲は、スコアや楽譜とのにらめっこを止めて、散歩でもしながら歌うつもりで聴いたら、楽しくて眠る気など起こさないのでは、と思う。
「書を捨て街に出よ」とはちょっと違うだろうけど。
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