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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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バトルシーンはまだまだ気持ちだけ

祝祭管練習記、本日はマエストロ来団日。朝から夕方まで「ジークフリート」第2幕をがっつり弾いてくたくたになったけれども、ようやく曲の景色全体が見渡せて、何かをやり遂げた感満載の練習だった。たぶん、先週に2幕をトレーナーに見てもらい、一週間の間にヤバいところを自分なりにさらい、その上で来団練習に挑んだからではないかと思う。予習復習大事。



今年初のマエストロ来団ということで、気持ちは張り切って練習場へ。ところが、何を勘違いしたのか場所を間違え、あやうく誰もいない部屋に足を踏み入れるところだった(連絡メールは最初から最後まできちんと読みましょう)。

こういう時、裏道も含めて最短経路を出してくれるgoogle地図はほんと役に立つ。10分遅れで正しい練習場にたどりつき、こそっと中に入ると……まだ、音出しはしていなくて、2幕解説の真っ最中だった。

ジークフリートの2幕というのは、ミーメがジークフリートをそそのかして大蛇退治に赴かせ、ジークフリートは見事大蛇を仕留めるが、同時にミーメが自分を毒殺しようとしていることに気づき、育ての親である彼を剣で殺してしまう。非常に血なまぐさく、なおかつ、合間合間に森のささやきと小鳥のさえずりが挟まるという、不思議な対比のあるところ。

大蛇はともかく、たとえイヤなやつであろうとも育ててもらった恩があるミーメをあっさり殺してしまうジークフリートって…という話で、マエストロいわく「恐れを知らない=同情心がない」「輝ける勇者=弱い者を下に見る」ということであり、ぶっちゃけた話、神の血を引くジークフリートは、地下の住人であるニーベルング族を明らかに下に見て無慈悲な扱いをしているわけで、それこそが後の「神々の黄昏」における破滅の根本だということだった。現代の某国の白人優位な態度にも通じると言われたので、ああなるほどなあ、と、リング4作が現代でもずっと上演され続けている意味を感じたのだった。

予め、先週のトレーナー練習でひととおり通していた2幕ではあるが、マエストロの棒に従って弾いていると、何もかもが物語として鮮やかに浮かび上がってくる。大蛇退治に行くまでのあれこれ、バトルシーン(弾けないので気持ちだけついてゆく)、ミーメの暗殺計画を見抜き、殺してしまったものの、重苦しい気持ちをひきずり、森のなかで孤独を感じるシーン。なかなか十分に弾くことができないが、物語の枠が見えてきたということで、今日は御の字。

※追記
先週、ぼそりと「レッスンにつきたいけど今はちょっとムリ」とつぶやいたら、本日さっそく反響があって、声をかけていただいたり、アドバイスを頂いたり。大変ありがたいことです。
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