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びおら弾きの微妙にズレた日々

ライン初弾き

この三連休は世間並みに(?)イベント盛りだくさん。人様の日記を見て「世の中は連休なのかー」とつぶやく暇もありませんでした。

まずはびおら練習記から。
先だっての土曜日はオケの練習で、憧れだったラインを弾いた。
パート譜とにらめっこをしていたときは二拍三連の多さに(1楽章の話ね)どうやって勘定したらいいんだと頭を抱えたが、案ずるより弾くが易し、て感じで思ったほど迷子にならずにすんだ。多少なりとも曲を聴きこんでいたせいもあるけど、曲の作りが古典派的だったおかげだろう。落ちそうになったらほかのパートを聞けば自分の場所がわかる。マーラーとかシベリウスだとそういうわけにいかないもんね。

実際弾いてみて、シューマンの曲をきれいに響かせるには、バランス感覚がものすごく重要だなぁと実感した。

シューマン先生はどうもハーモニーを分厚くつけるクセがあるみたいで、無神経に弾くと肝心なテーマがハーモニーに埋もれちゃうのね。これは、シューマンが和声の進行を重視していたのと関係があるのだろうけど。(その和声を扱いはブラームスによってさらに磨きがかけられる……と)
だから、つねにテーマがどこで鳴っているか、さらにはどんな和音が響いているのかを気にしながら伴奏をつけないといけないわけで、これは各奏者の耳にかかっている。

あとはセンス、かな。シューマン独特の、軽くおどけたような感じと重々しい響きの対立が上手く出せたらいいなと思う。
シューマンは音楽評論もたくさん書いていて、ペンネームが2つあったことは割と有名で、ひとつがフロレスタン、もうひとつがオイゼビウス。フロレスタンはシューマンの中の陽気で楽観的な面を、オイゼビウスはシリアスで陰鬱な面をそれぞれ表していたという。
「ライン」の場合だと、全体的にフロレスタン的な明るいイメージなんだけど、その中の4楽章だけがオイゼビウス的な暗さや重さを持っている。この4楽章の重さには鬱鬱とした気分の向こうに神々しさが宿っていてすごくいい。

もともとシューマンは音楽を通じて、この世の真実=真善美を追求したかったようで、それはピアノ協奏曲を聞くと特に強く感じる。真善美の世界(神の世界)に憧れてみるものの、現実を振り返ればあまりに欝なことが多すぎてやりきれなくなる、シューマンのシンフォニーの味はその葛藤にあるんじゃないかと思う次第。
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