演奏会が終わって、怒涛の感想・反響大会が終わり、少しずつ日常生活が戻ってくるころ。
落ち着いて思い返してみると、ひとつ、インパクトの強い出来事を書き忘れていたことに気がついた。
あれはブルックナーの2楽章、トリオの部分での出来事だ。バイオリンの美しい旋律に合わせて、ビオラはゆったりとピチカートをはじいている。フレーズの終わりが来て、さあ呼吸をあわせなくては、と顔を上げてトップ席と指揮者を見る。すると、マエストロがこちらを見てにっこり笑いかけてくるではないか。
おお、ちゃんとビオラパートを見てもらっている、と感激した瞬間、すぐ後ろでハープの美しい音色が響き渡った。
つまりはそういうことだ。ハープ大事。
前フリはここまで。
改めて思い返してみると、練習過程で気になっていたこと、不思議に感じていたことがいくつか出てくる。
その1。
弦楽器に関わる内容だけど、細かい指示や注意がなくても、繰り返し弾くうちに自然とニュアンスがあるべき方向に揃ってくるのはなぜ。音程についてはきちんとパート内で合わせる練習が必要だったにしても、微妙な音楽の揺れについてゆく方法、表情を出すための弓の使い方についてはあまりうるさく言われなくても揃ってきたように思う。
これまで経験してきた他のオケでは、恐いコンサートマスターがまるで箸の上げ下ろしに文句をつけるような細かいレベルで指導を入れたりすることが多かったが、祝祭管では自然とトップに合わせる態勢ができていて、暗黙のうちに揃ってくる。この違いはどこから?
……ああ、そうか。トップが人を従わせるようなオーラを放っているせいだ。言葉ではなく身体の動きや弓の使い方で音楽のニュアンスを伝えることが出来るからだ。後ろの奏者はそれをきちんと読む。
思い起こせば、ビオラトップの背中は実に雄弁だった。(そのかわりボウイングはなかなか決まらなかったし、席順についてはノーコメントで、ほとんど成り行きで決まったのだったw)
その2
これは、自分でもあちこちのオケで気になりつつ、複数の知り合いが指摘していたことなので書いてみる。
直前まで人が揃わない件とその理由について。
人集めに苦労したパートはもちろんあるのだが、それとは別にメンバーは決まっていても、各自それぞれ事情があって、なかなか練習日に来てもらえず、せっかくの指揮者来団日でも席がガラガラ……という光景にたびたび出くわした。
これ、実はかけもち問題。
能力の高い人ほど多くのオーケストラからエキストラを頼まれやすく、また、複数の団体の正式な団員だったりする。すると、ひとつの本番が近づくと、そこのオーケストラの関係者はこぞって祝祭管に来れなくなる。ひどい時には合奏が成り立たなくて弦分奏にしなくてはならないほど出席率が下がる。または、バイオリンやチェロの人数が極端に少ないとか。(ビオラは慢性的に人不足)
あるいは、地味に毎回出席して、苦労しながら人数の少ない時を切り抜けた人と、直前にふっと現われて前方の席を占める「うまい人」の2層に分かれてしまったり。オケの内部は残酷なぐらい実力主義なので、少々モヤっとした気持ちを抱えても「うまい人」に対しては何も言えなくなってしまうのが普通。
演奏会なんだから結果オーライという話もあるが、アマチュアだからこそ演奏会に至る道のりを大切にしたい人もいるわけだし、かけもちを全面的に禁止する必要はないけれど、まあ、節操というものは必要だろうと思うのだった。
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