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びおら弾きの微妙にズレた日々

禁断の扉が開いてしまったようです

愛知祝祭管弦楽団による「ラインの黄金」演奏会が無事に終了した。
ワーグナーのライフワークである「ニーベルンゲンの指輪」四部作のうち第一作目。この演奏会の出来栄えが今後の成功を左右するので、関係者は皆、ドキドキハラハラしながら本番を迎えた。自分も、妙にソワソワとテンションの高い状態で本番当日を迎えた。

実際には「無事」に終わるどころか、嵐のようなブラボーと拍手を浴びて「え、え? 今何が起きてるの?」と、カーテンコールで何度もおじぎをするソリストたちの後ろで、呆然とするような有り様だ。アマオケ生活を始めて15年近くたつが、こんな喝采は初めて。まとめようにも頭の中が飽和状態でどこから手を付けて良いのやら。



さて、怒涛のような演奏会から6日たち、聴きに来てくださったお客様や団員の感想を読むうちにようやく頭の中が整理されてきた。結論から言えば、やはりとんでもない出来栄えの演奏会だったようで、嬉しく誇らしい反面、次回以降のハードルの上がりぶりにガクブルしている。観客というのはワガママなもので、シリーズ物で一作目の出来が良かった場合、次作以降は最初のものを凌いでいなければ満足できない。(アニメやコミックの例で考えたらわかります……よね? ((((;゚Д゚))) )

しかし、今回の演奏会がこれほど喝采を浴びるとは予想していなかったし、今後の出来栄えはまったく保証できない。もともと、アマチュアがワーグナーの「指輪」シリーズを演奏会形式で全幕上演するという企画がまともじゃないのだ。どんな風にまともじゃないか、今回の「ラインの黄金」を引き合いに出して書き連ねてみると……。

  1. 巨大な編成。ソリストが14人、オケはざっくり言って4管編成(1st&2ndバイオリンが16人ずつ、ビオラとチェロはそれぞれ12、コントラバス8)、ハープ6台、その他特殊楽器多数(含むアンビル=金床)。
  2. 次は弦楽器の難易度。質量ともに半端ない。ビオラの場合、パート譜が66ページ。音符でうめつくされた黒いページがおよそ3分の1。ト音記号頻出につき、5thポジションまでは当たり前。調性と拍子は場面や登場人物が変わるごとに変わるので、目まぐるしく変化し、正直、アマチュアの手に負える譜面じゃない。
  3. それから曲の長さ。4場からなる1幕もので、演奏時間はノンストップで2時間半。ずっと弾きっぱなしの弦楽器は心身ともにつらい。おそらくお客様もつらい。なによりトイレ問題。

1は、団長はじめ、さまざまな関係者の人脈を駆使して解決。特にソリストの人選は内部の人間が見ても見事と言うしか。この段階でふつうのオケじゃない。
2については、一年かけて、マエストロはもとより、トレーナーの先生方に丁寧にしごいていただき、なんとか音楽的表現ができるレベルに。個人的には誤魔化した箇所多数でやや後悔。
3については、不思議なことに、本番中はほとんど疲れも感じず、あっという間に終わってしまった。時間は主観によって伸び縮みすることの好例だ。(お客様向けのトイレ問題は、三階の最後列に遅刻者・再入場者用の席を用意することで解決していたようです)

さらにプラスアルファとして、演出をどうするかという問題がある。基本は演奏会形式なので、歌手は普通に立って歌うだけでも成り立つのだが(実際にそういう演奏もある)、この演奏会では、プロの演出家にお願いし、簡易演出付きという形をとった。ところが実際に蓋を開けてみれば「簡易」というのは言葉のあや。つまり、時間や場所の制限内でできうる限りの工夫がなされた。いくつか書き出してみると、

  • 舞台衣装を用意すると言われ、女性陣は自らのスリーサイズという極秘情報を担当者に報告する羽目に。
  • 本番当日、団員は朝イチから総出で飾り付けの手伝いをする。
  • ソリストは役柄によって舞台中央に設けられたステージ上で歌ったり、パイプオルガン前の2階P席で歌ったり、さらには3階のP席にまで現れたりしたばかりか、演技もついた。
  • ニーベルング族役の「キャー隊」やアンビル(金床)叩きの人たちは2階P席の左右の袖へ。その場所から叫んだり鉄を打ち鳴らしたりすると、ホール全体に響きわたる。
  • 華麗な照明効果。舞台の上は場面に合わせて暗転したり、さまざまな色のライトで染めと上げられたり、正直、弾いている最中に目がチカチカするレベルの演出だった。時々舞台が暗転するので、譜面灯を使用する(初めての経験!)。心配するほど暗くはなかったが、舞台上のライトの角度によっては影が譜面上に落ちて結構見づらかったりした。が、ゲネプロ時に撮影された写真を見ると、照明の力で舞台全部が異世界に行ってしまっているのがよくわかる。「ほう!」となった。
  • あと、忘れちゃいけないのが大蛇とカエル! アルベリヒが隠れ頭巾の力を使って大蛇とカエルに変身するのだが、大蛇はなんと巨大な目玉二つで表現(「おい、鬼太郎!」と叫びたくなったのは自分だけではないはず)。カエルはカエルのぬいぐるみにカエル棒を取り付けて、トランペットのあたりからピョコピョコ(ちゃんとウケた)。

今回、演奏者に回ることで何が残念かというと、この創意工夫に満ちた凄い舞台を生で見られなかったこと。本当にオペラはさまざまな役割、要素がうまく働き合ってようやく成功するものだし、うまく行った時には、客席に居ながらにして異世界を旅することができる(あくまでも推測だが某映画の4DXなんて目じゃないと思う)。もちろんDVDは注文してあるけれど、ライブな空間を共有することはできないものねぇ……。


まあ、こんな感じでいくつもの困難を乗り越え、労苦が自己満足で終わらないように祝祭管スタッフは素晴らしい勢いで働き、ヒラの演奏者もできるだけ最後まで譜面と戦った。そのエネルギーは大したものだと自画自賛するが、ではこのエネルギーはいったいどこから湧いてくるのだろう。

「愛」だそうです。

我らがコンマス氏いわく、アマチュア・オーケストラの「アマチュア」の語源は「愛」だという。音楽への愛、そして同じ音楽を共有する者同士(演者、観客両方を含む)の愛。ここで言う「愛」とはキリスト教に出てくる「隣人愛」に近いものだ。もしくはベートーヴェンの第九に登場する「歓喜の歌」のイメージに近いと言えばいいだろうか。コンマス氏としては、フルトヴェングラー氏が提唱した「愛の共同体」を目指すとのこと。愛知祝祭管の場合、その愛の頂点に立つのがマエストロというわけだ。
音楽への愛はとてもよくわかる。たとえば、マエストロの来団練習で曲の意味がわかると、メンバーは面白くなって盛り上がり、さらに終盤になってソリスト陣が加わると、その歌唱に刺激されてさらにテンションが跳ね上がり、最終的に、音楽を奏でる喜びとして、オケにものすごい熱量がたまる。
メンバー同士の愛、これは正直、かなり難しい……。人間関係に悩むオーケストラ団体は少なくないし、いったんいい雰囲気になったからといって、それがいつまでも続くこともない。幸いなことに、当団は今のところうまく回っているように見えるし、少なくともビオラチームは楽しくまとまり(特にパート練習のあとの飲み会/(^^ゞ)、その空気感が舞台上でも出ていたのだろうか。次回ワルキューレに向けて、ビオラの12席はあっという間に埋まってしまった。(今シーズン始めは人集めに苦労して、結局エキストラを一名お願いすることになったのだ)
一緒に弾いていて、真剣であればあるほどお互い言いたいことは出てくるだろうが、まあ、人として互いにリスペクトを持って接すれば泥沼にハマらずに済むのでは、と思う。



ともあれ、一度開かれた神々の世界への扉は、最後、ヴァルハラが炎上し、ライン川があふれるまで閉まらない。




おまけ


指輪を奪われ、「どこへでも自由に行け」と神々に追い払われて、やさぐれるアルベリヒ氏(なぜかカエルの姿のまま)。この後、人間の女性と結婚して子を得る予定になっていますが……続きは「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」にて。


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