あと数日で「ラインの黄金」は本番を迎える。つまり、一年かけてさらってきた曲とのお付き合いも終わるということだ。
8月に入ってからはソリストの方々も練習に加わるようになり、楽曲の世界がぐんとリアルにせまってくるようになった。見た目も声も素晴らしい方が多く、登場人物のイメージを遥かに上回ること甚だしい。醜いはずのドワーフやずる賢く立ちまわる半神までもがイケメン&イケボイスで、本来はヒドい神々たちの欲望にまみれた物語のはずが、豪華キャストによる目と耳の保養大会になってしまうありさま(大いに誉めてます)。
おかげで、あらかじめ台本の対訳を読んでイメージしていた「ラインの黄金」ひいては「ニーベルングの指輪」の世界が様相を変え、もう一度意味を考え直してみなくては、と思うようになってしまった。
以下、長文なので折りたたみ。
「指輪」の基本となる流れは二つ。ひとつは、ラインの黄金から作られた権力の「指輪」が神々の世界の崩落を招き、最終的には火と水によって浄化されるという出来事の流れで、もう一つは、愛と呪いをめぐる流れ。後者については長くなるが、だいたい以下のとおり。
まず、ニーベルング族のアルベリヒがラインの黄金を強奪し、愛を断念することで権力をもたらすという指輪の作成に成功する。そして、ニーベルング族を支配し財宝をためこむ。そこへヴァルハラ城の建築費用を求めて神々の王ヴォータンとローゲが現れ、アルベリヒを騙して財宝を身ぐるみ奪い取る。もちろん指輪も。理不尽な思いにかられたアルベリヒはすかさず指輪に呪いをかけ、それ以降、指輪の持ち主には必ず不幸がふりかかるようになった。愛と権力の対比、愛の拒絶から呪いが生まれるところまでが「ラインの黄金」。
続く「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」では、指輪の呪いが世代を超えて発揮されてゆくさまが描かれている。不安にかられたヴォータンが何をしたかというと、まず、智の女神エルダとの間に9人の子どもをもうけ、ヴァルハラ城の守りを固めさせる。これがあの有名なワルキューレ。さらに人間の女性の間に双子の子供達をもうけるが、この双子、ジークムントとジークリンデは生まれてすぐに引き離されて育ったにもかかわらず、偶然による再会ののち、たちまち道ならぬ恋に堕ちて命を失う。さらに彼らの忘れ形見、ジークフリート(ヴォータンの孫)とワルキューレの一人、ブリュンヒルデ(ヴォータンの娘だが、父の言いつけにそむいてジークムントたちに味方したため、山の上に幽閉されてしまう)との間に運命的な愛が生まれるが、呪いがかかっているとは知らずに指輪を得たジークフリートには悲劇的な死が訪れる。ことごとく愛を破壊する指輪=アルベリヒの呪いが活躍するのはここまでだ。
すべての原因が神々の世界にあることを悟ったブリュンヒルデは、愛するジークフリートを弔うと同時に、神々の世界を弔うために自ら火に飛びこんだ。神々の世界は炎上し、指輪は呪いが解かれ、洪水を起こしたライン川に還る。最後は再生の希望を残して物語は終わるのだが、ブリュンヒルデひとりの力で世界が再生したわけではない。
世界を焼きつくす火、その後ろには火の神ローゲがいる。ヴォータンの怒りに触れて山頂に閉じ込められたブリュンヒルデを取り囲んでいたのは、ローゲが生成した魔法の火だ。ブリュンヒルデを閉じ込めておくだけでなく、臆病な男性を寄せ付けないためのフィルター機能がついた炎。この炎が、最初からジークフリートだけを通すように操られていたとしてもおかしくない。
実は、「ラインの黄金」の中で、ローゲの出自がちらりと触れられている。もともとは地下に住むニーベルング族の仲間だったらしい。アルベリヒとはいとこ同士だという台詞が出てくる。それが、いろいろあって神々の側に引きこまれ「半神」として神性を与えられたようなのだ。しかし、その力はヒモ付きで、神々に逆らうことはできない。ラインの乙女たちに「お願い、指輪を取り戻してちょうだい」と懇願されて「まかせときな」と返事をしたものの、ヴォータンが相手では、なかなか事は簡単には運ばない。実際、何度かけあってもするりするりとかわされる。また、城の建築費用をめぐる、あまりにもえげつないやり取りについにキレて「ラインの黄金」の最後では、こんなアホな神々につきあっていられるかとぼやく。そうして、再び炎となって彼らを焼きつくす計画を立てるのだ。
以後、ローゲは姿を現さない。だが、すべての筋書きはこのときローゲによって描かれている。
決して本性を表に出さず、狡猾に立ち振る舞い、冷静に世界を見通す熱い炎。影の主役ローゲ様ばんざい。
さてさて、それならヴォータンはただの狂言回しだったのかというと、そればかりでもない。他の神々とは異質なものを持っており、だからこそ「神々の王」という立場にいられる。何が「異質」かというと、契約という概念だ。フライアやフロー、ドンナーなど他の神々が象徴するのは、それぞれ青春だったり幸福だったり雷(自然現象)だったりするし、ラインの乙女やニーベルング族が表しているのも、水や大地など、やはり自然の力だ。その中でヴォータンとその妻フリッカは、契約と契約の一形態である結婚の神、つまり人為的に生み出された制度を重んじるということで異質だ。契約=約束の力で混沌とした世界に秩序をもたらしたといえば、聞こえはいいが、「指輪」の世界においては、この「契約」が神々の世界を混乱へと導いてゆく。
フライアを代償として巨人に城を建てさてた「契約」からすべてが狂いだしたといってもいい。この契約は、さらに指輪を含む黄金とフライアを引き換えにするという協定へとすり替えられ、その後のワルキューレにおいても、ジークムントとジークリンデという双子の愛の結びつきを、兄妹だからという理由で阻んだのは「結婚」の神フリッカだった。これも約束事が悲劇を招いた例だし、言いつけに背いたブリュンヒルデにヴォータンが泣く泣く罰を与えるという行為も約束のひとつの形だ。自然の理や流れを約束の力で無理にせき止め、残酷な結末を招いている印象がある。もし「指輪」の中で最大の悪役を挙げろと言われたら、文句無しにヴォータンだ。
ブリュンヒルデとローゲが滅ぼしたのは、この不自然な「契約」が横行する世界であり、リアル世界と重ねることも可能だが、それは見る人次第だと言ってもいい。
少なくとも物語の続きとしては、指輪はライン川へ帰りしかるべき場所におさまり、自然な愛、純粋な愛が何物にも邪魔されない世界が再生するのだろう。
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ただし、一説にはこの指輪は流れ流れて中つ国の大河アンドゥインまでたどりつき、幼いスメアゴル=ゴラムの手に渡ったとか渡らないとか(指輪違いです、失礼しました)。
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