狂乱騒ぎの10連休は、世間でこそ過ぎ去ったようだけども、愛知祝祭感に関しては6月いっぱいまで怒涛の来団ラッシュが続く。特に4月最終週~5月前半は毎週末のように練習があるという狂気の日程で、団員もお疲れ気味な様子が伺える一方、なかなか仕事との折り合いがつかず満足に出席できなくて、グギギギと唸っているメンバーもいる(例えばここに約一名)。
さて、今回はマエストロとともに序幕&1幕の練習。これまでのように、弦楽器の難所を取り出し、テンポを落として丁寧にさらうという作業は減り、個人に任せられることに。
そのかわり、曲の作り方に関する解説がやや増えた。
「神々の黄昏」は、元来ドロドロ、もとい濃いドラマが展開される楽劇で、音楽とドラマががっちりシンクロしており、それをマエストロは想像力を羽ばたかせてさらに深く読み込む。
たとえば、序幕冒頭、ノルンたちが語りをするところでは、歌の内容に合わせて調性が抑うつ的になったり明るくなったり。過去の豊かだった世界の様子を歌う時には安定して明るい調性になるし、没落の予兆を歌うときは暗い響き。ヴォータンが世界樹の枝を切り取った瞬間を表すピチカートについては(担当はビオラ!)、これがそもそもの没落の始まりなのだから、そして比較的さらっとしたオーケストレーションだからこそ、思い切り強く、なんならバルトーク・ピチカートで、という御指示(実際にはやりませんが)。
また、序幕後半でジークフリートとブリュンヒルデがリア充を謳歌しているシーンでは、男性的なモチーフ(もちろんジークフリートのテーマ)と女性的なモチーフ(ブリュンヒルデ)をわかりやすく演出するように指示を受けるほか、ジークフリートのテーマがやけに明るくて軽薄にすら聞こえるのは、そこにすでに悲劇&黄昏の芽が内包されているからという指摘があり、だから本当に軽く聞こえるように演奏してよいとのこと。いわゆる「フラグを立てる」というやつだ。ひどく同感した。だいたい物語というのは「あなたのことを絶対に忘れない」といえば、9割9分の確率で忘れる展開になるものだから。
こうなってくると、音楽を演奏するというよりは、物語を音で書きつづっている気分になってくるし、物語を書いているのならば膨大な譜面の量も苦にならない。問題はきちんと文章が書けるか=できるだけ正確に音符を音にできるかだ。これはもうコツコツと地道にさらうしかなく。体力&気力をどれだけ味方につけるかの問題になるなあ。
ということで、いつもの合言葉を。「ワーグナーやったら肉!」→「ワーグナーやるなら肉!」
ちなみに私の場合、ガッツリ弾いた日の夜はアミノバイタルを摂取してます。
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