先日、久しぶりに名フィルの定期演奏会に足を運びまして。それというのも、例によって例の如く、Twitterで超美味しいプログラム情報が流れてきて、ふとスケジュールを確かめたらその日は幸運にも仕事が休みだった。音楽の神様が微笑みかけてくれた!
最近、なかなか休みが合わずに美味しいプログラムを逃してばかりだったので、テンンションが上がるの上がらないのって、意気揚々と愛知芸術文化センターのコンサートホールへ。
今回のプログラムは以下の通り。
バルトーク:ハンガリーの風景 Sz.97
バルトーク:ヴィオラ協奏曲 Sz.120[シェルイ補筆版]
シベリウス:交響曲第6番ニ短調 作品104
シベリウス:交響曲第7番ハ長調 作品105
カーチュン・ウォン(指揮)
ルオシャ・ファン(ヴィオラ)
びおら弾きにはたまらないプログラムで、しかも指揮者の意向でシベリウスの2曲をアタッカでつなげて演奏するという。そして名フィルと近現代の曲は相性がよい。いやが上にも期待は高まる。
バルトーク「ハンガリーの風景」は小品を集めたスケッチ集みたいな作品だけども、民族愛……とも違うな、故郷の風景とそこで生きる人々を愛情込めて描いた感じが伝わり、聴いていて楽しかった。
続くVla協は、ソリストの音が華やかでパワフルなことに驚いた。良くも悪くもあまりビオラっぽくない音だったが、バルトークの音楽とはよく合っていたと思う。バルトークの音楽はあまり内省的でなく、外へ向かってゆく音楽だと感じたので。(ただし残念なことに、ここで日頃の疲れが出てしまい、睡魔に襲われたのであまり詳しくは書けない)
休憩をはさんで、お楽しみのシベリウス。シベリウスといえば、最も有名な2番は3回弾いたし、1番も5番もクリアした。シベリウス特有のあれこれ、例えばミニマル・ミュージックぽい短い動機の執拗な繰り返し、カウントに苦労する三拍子系のシンコペーション、息の長いオーケストレーション等々にはさんざんお付き合いさせていただき、だいぶ身体に音楽が染み込んだ感はあるが、実は後期の6番7番についてはほとんど知らない。だからこそ、今回のプログラムが楽しみだったわけだが。
7番は4楽章すべてがアタッカでつながり、全1楽章という趣のやや難解な曲だというくらいは知っていたが、6番についてはほとんど情報がない。そこで、前日の夜中にちらりと予習してみたら(こういう時YouTubeは強い味方)、あまりの美しさにひっくり返りそうになった。でも後から考えると、予習しないほうがよかったのかもしれない。
というのも、一晩のうちに自分の中で「理想のシベ6」が勝手に育ってしまい、現実の舞台から生まれる音とイメージが合わなくなってしまったからだ。
名フィルの音はとても豊かで明瞭で力強い響きを持っていて、そのこと自体は大変な魅力だ。ただ、自分が期待したのは、靄が立ち上る早朝の森林のような、少し遠くて幽玄の世界と現実の世界のあわいをゆく音、墨絵のような陰影を感じさせる響き。フィンランドの自然やその奥深くに眠る神話世界の存在を感じさせる音といっても良い。実際にフィンランドに行ったことがあるわけではないが、シベリウスは若い頃フィンランドの深い森をさまよった経験があるというだけに、その音楽を聞いているだけで本当に森の中に迷い込み伝説の世界に遭遇したような気持ちになる。
と、イメージが大きく膨らみすぎた結果、舞台から聞こえてくる音はすこーし期待するものとずれたかな、という印象を持った。続く7番も音はしっかり鳴っていたが、何故かのっぺりした感じを受けてしまって、ちょっと残念だった。バルトークは全然良かったのに。もしも他の指揮者だったなら、違うトーンのシベリウスが聞けたのだろうか。少し気になるところではある。
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