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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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頭の中が舞踏会

この2週間ぐらい、気持ち的に余裕がなくて、ついったーではブツブツつぶやいているものの、ブログを書く気になれなかった。今日はちょっと落ち着けたので、昨日の練習後の感想を少々。

いくつかの約束事さえ了解すれば、幻想交響曲は実にわかりやすい曲。映像作品を見てるみたい。少しずつ弾けるようになって全体像が見えるようになったら、すっかり魅力に取り付かれた。(←単純なやつ)

「いくつかの約束事」というのは、例えば作曲したベルリオーズが書く楽章につけた標題のこと。
それぞれこんな標題がついていて、これがのちに交響詩が生まれるきっかけとなったともいう。(ちなみに幻想交響曲が書かれたのは1830年、ベートーベンの第九が完成したのが1823年)
第1楽章「夢、情熱」、第2楽章「舞踏会」、第3楽章「野の風景」、第4楽章「断頭台への行進」、第5楽章「魔女の夜宴の夢」

また、この曲が作られた経緯。作曲家が改訂時に楽譜に書き記した序文がある。
「病的な感受性と燃えるような想像力を持つ若い音楽家が、恋に絶望し、発作的に阿片を飲む。麻薬は彼を死に至らしめるには弱すぎたが、彼を奇怪な幻想を伴った重苦しい眠りに落とし込んだ。彼の感覚や情緒、記憶は、彼の病んだ心を通じて、音楽的な想念や心象に変えられた。恋人ですら一本の旋律と化し、絶えず彼に付きまとう固定観念(イデー・フィクス)のような存在となる」
まるでどこの前衛劇かと思うような筋書き。

そして、「イデー・フィクス」と呼ばれる恋人を象徴するメロディ。これは、楽章を支配する主題やテーマとは違い、特定のメロディが現れたら特定の事物の登場を意味するという仕組み。恋人のイデー・フィクスは1楽章では恋のときめきの対象として、2楽章では舞踏会で垣間見えるがなかなか近づけない姿で、3楽章では野原で一人たたずみ恋人を思い出す形で、4楽章では恋人を殺してしまい、断頭台の上でちらりと聞こえてくる形、5楽章では魔女になってしまった姿として、さまざまに形を変えて登場する。実は舞踏会も野原も断頭台も魔女の踊りも、すべてある若者(つまりベルリオーズ)の夢の中で繰り広げられた幻想。だから幻想交響曲。

そのイデー・フィクスを使った演出が実に巧みで、3楽章では寒々とした野原の様子や重くのしかかる孤独感が描かれた中、最後にちらりとイデーフィクスが現れて、孤独感の原因を示すところ(これが非常に切ない)、2楽章の舞踏会では華やかなワルツのメロディが現れては伴奏に邪魔されて切れ切れになることで、人の中に見え隠れする恋人の様子を表していたり、かわいさ余って憎さ百倍の4・5楽章とか(夢の中とはいえ、彼女を殺してしまうし)、とにかくそれ方面(?)の経験者にとっては、苦くて甘酸っぱい思い出を引きずり出される快感があるのだった。

とまあ、こんな具合に音楽を使って非常に具体的なヴィジョンを表現している曲なので、曲を弾きながら今どんな風景のどんな役割を受け持っているのかよくわかる。主役になったり背景になったり。それがとても楽しい。それに、どんなにハジけても美しい響きを失わないのだ。
絶対的&構造的な音の美を追究するドイツ音楽も好きだが、(ベルリオーズに限らず)美的感覚を軸としてさまざまな音響効果を狙うフランス音楽の魅力は、一度はまったら抜け出せないなぁ。
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