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びおら弾きの微妙にズレた日々

8月の練習

夏休み残り僅か=ブラームス3番の本番せまる(汗)
夏休みそのものについての話はたくさんあるけれど、それは別の記事で。

今年の夏はブラームスばかりさらっている。けど、なんでだろう、ブラームス臭さをあまり堪能していない気がする。そうだ、きっと鼻が慣れてしまってわからなくなっているのだろう(違!)






8月に入って出席した合奏練習が2回。そのうち1回はプロのトレーナー。もう1回は本番指揮者。指揮者の先生は毎回、非常にあっさりした練習で流れの悪い箇所を整理する感じ。表現も大げさではなく、楽譜の指示通り最低限の緩急をつける感じかな。もともとブラームスは重厚な響きなので、余計なことをするともっさりしてしまうのだろうか。

で、トレーナーの先生はあまり緩急の変化がないことを踏まえ、拍通りに演奏しつつ、その中で最大限に表情をつける方向で指導して下さった。特に白丸の音符(2分音符とか全音符ね)に気持ちを込める。動きがあっていかにもメロディアスな音の並びは感情移入しやすいが、伸ばしている音は気が抜けてしまいがち。でも、その「なんにも考えていなさ」とか「ちょっと休憩」という思いは、意識せずとも音に出てしまうらしい。同じ時間伸ばしている音でも、気持ちが入っているのとそうでないのでは音の密度が違ってくる。ちょっとした力の入れ具合とか弓のスピードの微妙な変化が影響しているのだと思うけど、気持ちの持ちようってすごいなぁ。
また、「大きすぎず小さすぎず(または遅すぎず早すぎす)、ちょうどいいくらい」を計るセンスも大切だということ。
どちらにしても、緊張感と、それを保ち続ける精神的な持久力が必要だなぁと痛感した。音楽全体の流れやバランスを感じ取り、無理なくそれに乗っかり続ける感覚。

音楽は感情をさまざまな形に造形する芸術であり、うまく演奏するには感情をコントロールする精神力が必要だと前々から思っていたが、やはりその通りだと体感した合奏だった。
指の動きなどの身体的な技術は、感情の動きを表現するための手段だから、いくら指が回るようになって弓が自在に使えるようになったとしても、手指に指示を与える司令塔、つまり心の動きがしっかりしてないとだめなのね。
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