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びおら弾きの微妙にズレた日々

"amore"の世界へようこそ

活動開始から約一年、テアトロ管弦楽団に、とうとう旗揚げ公演の日がやってきました!

最初は心配されていたチケットの売れ行きも、直前になってのびたようで、約1000人の会場に900人近いお客様が詰めかけたとのこと。
演奏中は歌手が歌い終わるたびに「ブラボー」が飛び、まるで夢の中で弾いているような錯覚さえ起こした。

盛りだくさん&プロでもなかなか組めないほど贅沢(マエストロ談)なプログラムは次の通り。
第1部:
①ナブッコより 「序曲」
②ナブッコより「祭りの飾りを」
③椿姫第1幕より「前奏曲」~「乾杯の歌」
④椿姫第2幕より「燃える心を」
⑤ドン・カルロより「我らの胸に友情を」
⑥ドン・カルロより「ここに喜びの日があけた」
第2部:
①マノン・レスコーより「間奏曲」
②ラ・ボエームより「冷たい手を」
③ラ・ボエームより「私の名はミミ」
④ラ・ボエームより「愛らしい乙女よ」
⑤アンドレア・シェニエより「祖国の敵」
⑥カヴァレリア・ルスティカーナより「讃美歌~天のお妃さま」
⑦カヴァレリア・ルスティカーナより「ママも知るとおり」
⑧カヴァレリア・ルスティカーナより「間奏曲」
⑨アイーダより 凱旋の合唱・バレエ音楽・凱旋行進曲

アンコール(兼次回予告):トゥーランドットより「だれも寝てはならぬ」

さてさて、初めての使用となる東海市芸術劇場でのリハーサルは、「場当たり」といって、歌手の配置や合唱団、バンダの出入り、暗転のタイミングなどを確認する作業から。オケはお付き合い程度に弾く感じだったけれども、本番衣装を身につけた紳士淑女が舞台上を動くさまに、ワクワク。普通の演奏会では味わえない雰囲気。

その後、夕方の休憩をはさんで、本格的な通し練習。これが、なんとも楽しい。何も考えずに歌の世界に没頭できるのが、こんなに気分がいいとは思わなかった。
ただ、「何も考えずに」というと語弊があるかもしれない。譜割りはきちんと読まなくてはいけないし、♭や♯のあるなしをきちんと確認し(これがしょっちゅう変わる)、正しい音程にも気を配らなくてはいけないし。なにより、リズムが独りよがりになってはいけない。これが多分イタリアオペラで一番難しく、一番の醍醐味なのだと思うが、メトロノームのように一定のテンポで進んではマズいのだ。歌っていなければ意味がない。「歌」というのは、歌手が歌っているときだけのことではなくて、音楽が鳴っている間、ずっと流れを支配している情念みたいなもの、と言い換えられると思う。
リハの時、マノン・レスコーの間奏曲を振りながら、マエストロがこう言われた。

「作曲家が、弦にユニゾンで同じメロディを弾かせるとき、何をさせたいかわかる?」
(え? え? (;゚ロ゚) )
「とにかく歌わせたいんだよ」
(ハッ!(゚ロ゚) )

それ以降、ますます音楽が波打つように流れ出した。
(余談ですが、アイルランド音楽もユニゾンが多いです。奏者は、せき立てられるような胸の内をメロディに託すのです)

まあ、「歌う」と一口に言っても、何をどうすれば? という話になると、まずは楽譜の指示に従いましょう(例えば、ダイナミクスを守るとか、指示通りにテンポを落としたり巻いたりするなど)となるので、決して簡単ではないけれど、とにかく楽譜にあるように弾いていると、なんとなく音楽の流れが見えてきて、いちいち気をつけなくても、自然と音の大小をつけたり、アクセントをつけたり、テンポを緩めたり戻したりできるようになる。ただし、自分ひとりで頑張ってもどうにもならないので、そこは、弾いているメンバー全員で同じノリでできるようにする。そこで始めて、何も考えなくてもノリでメロディが歌えるようになっているのだ。ここまでたどり着けば大変に気持ちいい(←コレ大事)。

カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲についてもまったく同様で、オケの面々はマエストロの棒に操られるようにして、歌を紡いでゆく。譜面にないアゴーギグが次々に足されてゆく。流れに取り残されないように必死で弾いている反面、心のどこかで「なんだかスゴいものが出来てくるぞ♪」と感嘆していた。

同様の現象は「椿姫」の前奏曲でも感じた。冒頭のバイオリンの音が、本番が近づくにつれ、本当に絹のような艶やかで儚い音になってきたので、途中から合流するびよらも、負けてはいけないと、できるだけシルキーな音色を狙ってみた(5thポジションで頑張りすぎて指がつりそうだった)。

後から考えてみて、イタリア語の「amore」(=愛)は、男女間のアレだけでなく、こんな風にして流れ出す情念をも指すのではないだろうかと思ったりする。山あり谷ありの人生の中で、どうしてもやりきれない感情に「歌」という形を与えているというか。
オペラは、ストーリーだけを抜き出すと荒唐無稽なものが多いのだけど、音楽と歌がつくと立派な芸術になったり高級なエンターテインメントになったりする。悲しい歌を引き立たせるために悲しい物語を、気分良く笑うためにコメディをあてがっているのではないかと思えるほどだ。


こんなことを感じながら迎えた本番当日。
音楽は気持ちいいのだけど、譜面上の細かいチェックや入りのタイミング等の確認作業はゲネプロまで続く。本来なら先週までには済ませておきたかった作業もなぜか直前に……(T_T)
今回はいくつもの有名作品から美味しいところだけを取り出した、アラカルトな編成なので、譜面の管理が実はかなり面倒。でも。めんどくさがってスコアをちゃんとゲットしておかなかったのはマズかった。該当する部分の動画もあらかじめチェックしておけば、本番でもう少し自信を持って望めたはずの箇所がたくさんある。安定感を保ちつつ自由に歌うには、基礎をしっかり、下準備をきっちり整えておくことが必要なのだ。これは今回の反省点。

そしていよいよ本番。
階段のような客席に人がいっぱい!
緊張はしないけれども、事故を起こさないように必死。美しく着飾った歌い手さんたちに見とれすぎないよう、聞き惚れすぎないようにするのも大変。
さらにマエストロが!!
前日とは微妙に違う歌い方を要求してくるではありませんか。
もちろんそれは、オペラだから歌手の歌い方が変われば、音楽の動きが変わるのも当然だけれど。
けれども、テアトロ管弦楽団はいちおうアマチュアの集団。専門的な音楽教育を受けている人は多くないし……。
ついてゆくのに必死。感動とは違う意味で泣きそうだった。

とういわけで、一番気持ちよく楽しく弾けたのは前日の通しリハだった。
でも、一曲終わる毎に「ブラボー!」のかけ声がかかるのは、じつに気持ちが良い。お客様が楽しんでいるという感触は、ホント、演奏者冥利につきる。
演奏が終わった後は燃え尽きて、打ち上げの宴会では、ぼんやり立っている程度の元気しか残っていなかった。

それにしても、旗揚げ公演からこの一体感。どうして生まれるのだろう。
と、不思議に思っていて、ふっと思い当たったのが、団のモットーが「楽しく和やかに音楽をする」だった、ということ。それは人選から始まり、細やかでしかも威圧感を与えない配信メールの内容にもよく表れていて、運営ポリシーは大事と思い知らされた。
自由に歌うには基本が大事、と先に書いたが、運営も「ユルい」と「和やか」は違う。水面下で、実にさまざまなやり取りやトラブルや衝突があって、それらをひとつずつ解決しながらの運営だったのでは、と推測できるからこそ、余計にスゴいなあと思うのだ。が、これはまた別の話。

次回、トゥーランドットも応援しています。

友人からの差し入れは珈琲。
「ヴィオラ」と「クラシック」という銘柄をわざわざ見つけてくれた!
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