もう10日も前の話になってしまうが、8月最初のブルックナー練習は欠席。というのも、大学オケの顧問の先生がこの2月に亡くなり、卒団生と現役生による追悼演奏会が行われたからだ。参加者募集のメールが届いた時、乗ろうかどうしようか迷ったものの、練習予定日がなかなか確定せず、直前に日にちを知らされても仕事の休みは簡単に取れないので、結局は見る側にまわることにした。
学内にあたらしく出来たホールでの演奏会。
演奏されたのは、先生が若いオーケストラのために作曲された管弦楽曲、金管5重奏曲、ベートーベンの交響曲第三番。
舞台の上にも客席にも懐かしい顔ぶれがそろい、懐かしい音がする。大学を出て、いくつか社会人オケを渡り歩いてきたおかげで、客観的に演奏を聞くことができるようになり、自分が育ったオケの欠点と優れた点を両方とも自覚できたのだが、今回に限っては、完成度は問題にしてはいけない。追悼演奏会という性格上、卒団生の中から有志が集って先生のために演奏をする、という行為自体が尊重されるからだ。
その意味では大成功だったと思う。この演奏会のために卒団以降顔を合わせる機会のなかった元・仲間たちが再会することができ、追悼にふさわしい特別な場が生まれた。
もちろん、大勢いる卒団生のうち、この演奏会に参加したり見に来たりしたのは、一部に過ぎず、諸事情で来れなかった人、あえて足を運ぼうとしなかった人、この企画に意義を見出さない人もいる。でも、あの「エロイカ」が流れている間は、立場や考え方の違いにかかわらず、先生に縁のあった人たちすべてを、そっくりそのまま包み込むような時間が流れていたと思うのだ。
途中、学生オーケストラの創立に尽力された大先輩やもう少し下の年代の先輩による思い出のエピソードなどがはさまり、オーケストラの伝統に思いをはせる。伊達に99回の定期演奏会を続けてきたのではないのだなあと。しかし伝統の中には良いものとそうでないものがある。あの時私たちは何ができただろう、今なら何ができるだろう、と考えるひとときでもあった。
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