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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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「若気の至り」上等!

世の中には、「本気でバカをする」人種がいる。いや「できる」と言ったほうがいい。
今回の演奏会は、そういう人たちが集まったからこそ実現した。

 
愛知祝祭管「嘆きの歌」特別演奏会が無事に終了。
演目は交響詩「葬礼」・花の章・カンタータ「嘆きの歌」
すべてマーラーの最初期の作品。





そもそもの発端は19世紀末に活動した作曲家、グスタフ・マーラーによる「若気の至り」。
彼はウィーン音楽院を卒業してすぐ、作曲コンクールのベートーヴェン賞に応募するために、巨大なカンタータを作曲した。背景となる物語はシンプルで、ある騎士の兄弟が高貴な姫を妻とするために森に入って「赤い花」を探すのだが、先に弟が見つけたのを、兄が弟を斬殺して奪い取ってしまう。のちに弟の骨は楽師の手で笛となり、兄の結婚披露宴に乗り込み、真実を暴くというもの。
ところが音楽があまりに前衛的すぎて、「嘆きの歌」は落選してしまう。斬新すぎるオーケストレーションや、ワーグナーの影響が色濃く出ている点など、落ちる要因はいくつかあるが、特に編成があり得ない大きさだった。

【オーケーストラ+合唱+ソリスト6人(うち二人はボーイアルトとボーイソプラノ)+ハープ6台+バンダ(場外オーケストラ)】

オーケーストラ+合唱+ソリストまでは、特に目新しいところはなく、ハープの複数台使用もすでにベルリオーズが試みている(6台使用というのは、現実的な数ではないが)。しかしラディカルだったのはバンダ隊。もちろんそれまでにも、場外で楽器を鳴らす曲はあるが、マーラーが要求したのは約20名によるバンダ隊で、その使い方がヒドイ。本体のオーケーストラがH-dur(ロ長調)を鳴らしている時にC-dur(ハ長調)でかぶさってくるとか、本体オケと拍子が違うとか、正気の沙汰とは思えない響きがする。また、2楽章以降に登場する変拍子の「骨の歌」(←もちろん弟の骨)。これは恐怖と紙一重の美しさがあって、やはり狂気の領域に近い。
これはもう、マーラー青年が本気でバカをやってしまったというか、恐いもの知らずでやらかしてしまったとしか言いようがなく、経験の浅い10代後半の若者だったからこそ、頭の中にあった巨大な構想をそのまま五線紙に書き落とすことができたのだろう。だが、時代を先取りしすぎた美しく恐ろしい曲は、実演するにはハードルが高すぎた。
諦めきれないマーラーは「嘆きの歌」をなんとか上演しようと規模を縮小するのだが、この改稿版は成功とはいえず、かといって初稿版の編成のまま演奏することも難しく、結果として極端に演奏機会の少ない幻の大曲になってしまった。ただし、マーラーにとって「嘆きの歌」は相当に思い入れの深い曲だったようで、ここに登場したモチーフは後に書かれる交響曲の中に姿を見せることになる。

それからおよそ130年後、日本の東海地区に「若気の至り」上等! なアマチュアオーケストラ団が登場し、「嘆きの歌」を初稿版の編成で上演しようという試みが生まれる。さすがに打診を受けたマエストロも「マジで全部揃えたの?」と呆れるほどだったという。
これが第二の「本気バカ」。別名「愛知祝祭管弦楽団」。ふつう、アマチュアでは取り上げないだろ、という大曲にあえて挑戦するクレイジーな団長とコンサートマスターがいるところ。

しかし、本気バカを貫き通すには、さまざまな面倒がある。要求された編成を揃えるだけでも大仕事だが、さらに、練習会場の手配、参加費の徴収、チケットの配布・調整、助成金の申請、人目を引くチラシの作成、濃い解説付きのパンフレット、歌詞の字幕の用意。情熱を持ったリーダーに加えて、有能な人材がたくさんいてこそ達成できる一大事業。
もちろん、演奏の技術に秀でているのは当たり前のことで、若書きの大曲だからシンプル……なわけはなく、むしろ無茶ぶりが多いのに、ちゃんと演奏してしまう団員の多さにも驚いた。いったいどんな育ち方をしたら、楽器も上手くてスタッフとしても有能な人材になるのだろうと、素直に疑問がわいた。

 差し入れで頂いた花束が豪華すぎ♪


そんなこんなで迎えた当日は、お客様にも喜んでもらえる演奏会となったようで、ほっと胸をなでおろした。若々しい情熱あふれる「葬礼」、トランペットを始め、甘く優雅なソロが見事な「花の章」、そして若気の至り満載の「嘆きの歌」。
なにしろハープ6台、舞台の上の2階席にはコーラス隊、その左手に「骨の歌」を歌うボーイソプラノ&ボーイアルト役の歌手2名、舞台奥の扉を開ければバンダ隊。ビジュアル的なインパクトが半端ない。
クラシックファン歴50年の父をはじめ、来てもらった知り合いの人たちの反応も概ね良かった(ただ、3階席から字幕を見るにはオペラグラスが必要だったという人も)。

個人的な感想としては、まるで本を読むように楽譜を読むことになった曲は初めてで、非常に面白く貴重な体験をした。コンマス氏による渾身の解説シートを見れば、すべてのモチーフや動機には意味が与えられ、「嘆きの歌」という悲劇をあらわす重要な要素になっていることがよくわかる。文字ではなくイメージ喚起力の強い音楽で書き表されたサスペンスドラマ。音楽が言葉の補佐役を果たしているのではなく、言葉が音楽の補佐役になっている感さえある。

打ち上げ会場から見た
愛知芸術文化センター方面

コンマス氏の解説では、マーラーが「嘆きの歌」に登場する殺された弟と、若くして亡くなった自分の弟エルンストとを重ねているという説が紹介されていたが、すると弟を殺害した邪悪な兄とは、マーラー自身の自虐的な自画像だと考えられる。
さらに骨の笛を作って奏でる楽師もまた、マーラーが自身を投影している姿だと考えていいように思う。「嘆きの歌」に登場する楽師(シュピルマン)というのは、ジプシーと同じく、どこにでも行けるがどこにも定住はできないという放浪の民である。宴会があれば王宮にも堂々と入って行き、王に対しても無礼講で口をきけるが、宴会が終われば立ち去らなくてはいけない。
マーラーは最晩年、ジャーナリストに「あなたは何人ですか」と問われて「ボヘミアンだ」と答えたというエピソードがあるが、ボヘミアンといえばまさに流浪の民だし、どこにいてもアウトサイダーだった彼には、音楽しか寄って立つものがなかったのかもしれしない。まさに楽師であり、「嘆きの歌」以降、交響曲第1番から10番に至るまで、ずっと骨の笛を奏で続けてきたように思われるのだ。

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