要するに無事、第九演奏会が終わったということです。
プログラムは……
シューベルト 交響曲第7番「未完成」
ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」
アンコール 「ふるさと」(会場の皆さんと歌う)
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これまで第九は6回、いくつかのオーケストラで、それぞれ違う指揮者のもとで弾いたけれど、今回のT先生はこれまでのどんな指揮者とも違って(もちろんそれは当然なんだけど)、ハーモニーの進行で音楽の流れを読み解く方で、だから指導も、リズムと音程を取り出してそれを矯正するのではなく、ハーモニーの解説をした上で自然な音楽の流れを作ってゆくことが中心になる。
以前、ブラームスの1番を振っていただいた時にも同じやり方で、それは私にとっては非常にわかりやすい解説だった。ただ、目に見えないものを解説するわけだから、使われる言葉はどうしても「音の方向」とか「音のキャラクター」などかなり抽象的な表現になるので、何をどうしたらいいのか困ってしまう人もいたようだ。
でも音楽は人の感情を扱う芸術で、どうやって人の心を動かすかというとハーモニーを動かすことによってなのだから、先生の指摘はとても本質的なことなのだ。
それで、私はT先生には第九よりむしろ未完成をどんなふうに扱われるのか、そっちに興味があった。ベトベン御大の曲は構成がものすごく強固にできているので、とにかく楽譜通りに演奏できればそれで形になる一方で、シューベルトの未完成は音の構成がシンプルなので、奏者が音をデリケートに扱わなければ魅力が半減してしまうからだ。
やはりものすごく良かった(練習回数が少ないのがとても残念だったけど)。T先生は、楽譜という音楽の干物に水を注いで生き生きとした姿に復元する方法をよくご存知だった。あとは私達の理解と表現力さえついてゆければ、青春の迷いとか夢想を見事なまでに瑞々しく体現した「未完成」が披露できたのにと思う。オケの内部で迷いが生じてちゃだめだよね。バイオリンと木管、どっちにつけるが正しいか、なんてね。
さてメインディッシュの第九について。
今回の第九演奏会は諸般の事情にて祝祭的な要素が強かったものの、当日、いや前日からお祭り的な雰囲気が漂っていたわけでは決してなく、むしろ前日リハも当日のゲネプロも指揮者はみっちり練習をし、本番直前は団員の中でもバテ気味の人が多かったように思う。
これまで、ゲネプロは体力温存を兼ねて軽く流す程度の指揮者が多かったので余計にしんどかったかも。実際、本番当日の朝は体が重くて体調は最悪。
個人の話はさておき、バリバリ練習したのが暖気運転になったのか、本番は多少の「?」はあったものの、いい演奏になったらしい。「らしい」と推定形で言うのは、自分はとにかく落ちないようズレないように、さらに言えばできる限り良い音を出そうと夢中になっていて、全体の流れはあまりつかめていなかったからだ。そう、かなり冷静に弾いていて途中で涙腺がゆるむなんて現象はまったくなかったし、アンコールの「ふるさと」を聞いても、譜面を間違えないように弾くのに集中していて、ジーンと感じるヒマはなかった。
演奏終了後の「ブラボー」がいつになくたくさん聞こえたので、お客さまは喜んでいるらしいぞと自覚できた次第。そして舞台上のメンバーもまた嬉しそうで幸せそうな顔をしていたので、これは演奏する方もされる方も両者がいい思いをした、ほんとにいい演奏会だったのだと理解できた。「満足」ではなく「幸せ感」というのがミソ。これが普段の演奏会とは違う点。
これは恐らく、みっちり練習を積み重ねたであろう合唱隊の力で、ベトベン御大が希求した「神」を降臨させたのではないかと思ったりしてみる。
そして演奏会の翌日からやっぱり体調はイマイチで、喉と鼻の具合がどんどんおかしくなる。久しぶりに風邪をひいたらしい。というかご降臨に際して相当体力を使ったんだよ、これは。
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