ついに最終回。原作のラストはうろ覚えなので、いろいろあったにも関わらずほとんど違和感なく見れてしまった。キースは最後まで美味しい役だったなあ。
「衝撃の真実」こと最後の種明かしは、ほぼ記憶と変わりなく、ミュウと人類の対決は最初から仕組まれたことだった。生き残った方を進化に適した種だと見なすわけだ。この考え方自体、すでにSDっぽいのだけどね。
でも、かつての人類の思惑とは違い、ジョミーとキースは二者択一の道ではなく、両者が融合する道を選んだ。結果、グランドマザーは二人を抹殺にかかり、地球をも破壊しようとする。SD体制の崩壊は地球の崩壊につながるという判断が仕込まれていたらしい。
最後の最後に、グランドマザーに銃を向けたキースがカッコよかった~。傷を負いながらも、初めて自分の意志(というか、本来は信念というべき?)に従い、それゆえ後悔はないと言い切るその姿。惚れ惚れする。
スエナに最後のメッセージを託すくだりも自分的には好きだ。どうしてスタッフはスエナをフリーのジャーナリストに仕立ててキースにまとわりつかせたんだろうと思っていたが、こういう目論見があったのか。(もっとも、スエナ自身がSD体制の謎に迫ったわけじゃないけど。もしやっていたら最終回まで生きてないだろうし)
地球に向かって照準を合わせるメギド。それを止めようとするミュウと人類の軍隊。これが、両者が協力した初の仕事だね。でも、どちらの長ももう虫の息で、次の世代を担う若者にあとを頼むしかなく。ジョミーはトォニィに半ば無理やりにソルジャーを継がせ、(嫌がるトォニィの気持ちはジョミーにはわかりすぎていたはずだけど)キースはセルジュ(!)に後をたくす。はじめてねぎらいの言葉を聞いたであろうセルジュの胸中は察するにあまりある。そしてミュウの長老たちは、地球に取り残された子どもたちを救うため、わが身を犠牲にする……。典型的な世代交代ですな。
それから、ここにきて穴馬キャラが一人……いや、二人。マードック大佐とその副官。大佐、最初のうちはどうしようもない嫌味キャラだったのに、最終回ではヒーローだ。メギドへの体当たり攻撃が「さ×ば宇宙戦艦ヤ○ト」のラストとかぶるではないか。スタッフは何を考えているんだか。
ジョミーとキースはSD時代を終わらせるために命をかけた。でも後を継ぐ者が確実に育っている。それが地球の再生と重なって、すごく希望のあふれた最後になっていた。23話のフィシスの「人はかならず死ぬもの」という語りが心に染みてきた。そして、キースの「パンドラの箱をあけてしまった」のひと言も。この例えそのものはありがちなんだけど、キースが口にすると重みがあるというか、ねえ。(ただの贔屓です)
終着点まできて、振り返ってみれば、気になる点はいくつもあるけど(なんでジョミーとトォニィが親子のままじゃいけなかったんだろうとか、フィシスは完全に人間なのか多少なりともミュウ因子を持っていたのかとか、進行を急ぎすぎたエピソードがあるとか……)、とにかく絵が綺麗だったし、原作のテーマは核がきっちり残してあったし、良い出来だったんじゃないかな。
ここから先は本当に蛇足なんだけど、ちょっと気になることがあったのでメモ程度に書き残しておく。
この物語の感動シーンを見てじーんと来るたび、ああ自分は日本人だなぁと痛感した。
ソルジャーブルーがミュウを守るために、メギドの中で自爆(もともと長くはもたない命だったけど)したシーン、マツカがキースを守るため自分の身体を楯にしたシーン(もちろんマツカはキースを心から尊敬していたけれど)、そしてマードック大佐の特攻シーン。
どれも見事なほどに日本的美談だ。日本人のDNAには、集団(または特定の個人)のために犠牲になること=美徳という意識が刻まれているのか? それとも、子どものころから、そういう行為を尊ぶよう、無意識のうちに刷り込まれていたのだろうか。
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