もう少し長くなるかと思ったのに8巻で終わってしまった。
落ち着いて考えると回収しきれていない伏線とかあるが、アトムvsプルートゥの決戦と、ゲジヒトのエピソードがあまりに素晴らしかったので、そんな細かいことはどうでも良くなった。
ヒーローはアトムだけど、主人公は完全にゲジヒトだ。彼は人工的に作られたボディを持つということを除けば、どう考えても人間にしか見えない。ロボットはどこまで人間に近づけるのか。あるいは人間を超えられるのか。そんなことを考えさせられた物語だった。
以下はまとまらない考察をつらつらと。
ロボットは心を持ちうるのか。
この難しい問いに対して、原作のアトムや本作のプルートゥはイエスと答えている。これは、いつかロボットに心を持たせたいと望む人間の希望を反映しているのだろう。
天馬博士はロボットを完璧にするには憎悪を与えればいいという。実際にアトムを始めとする博士が開発した最高級のロボットたちは、憎悪によって完成されたかに見えた。皮肉がきいてるなあと思う。あえてアシモフの三原則に挑んでいる?
ところが、アトムもゲジヒトも、もう一段階上を行くのだった。憎悪を受け入れた上で無力化してしまう。それが「赦し」。これはもう神の領域だ。人間が踏み込むことは難しい。
「地球が終わっても、お前を放さないぞ」
これは何なんだろう。人間の親子の間で交わされ、ゲジヒトがそれを真似して拾い上げた「我が子」ことロビィに対して発し、お茶の水博士とアトムの間――つまり人間とロボットの間で交わされた、究極の絆を象徴する言葉。これを「愛」と言い換えることは可能かもしれない。
アトムが日本で生まれたことに非常に興味を覚える。
日本人は元来、人間以外の存在(動物、山、大木、大岩など)に魂や神性を見出してきた民族だからだ。
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