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びおら弾きの微妙にズレた日々

郷愁(ノスタルジア)は遠くにありて思うもの

先週末から風邪を引きこみ、喉と鼻と頭が痛み、それに追い討ちをかけるように腰も痛めてしまった。幸い今朝になったら熱はひいたが、鈍い頭痛がとれない。
こういう時はぼんやりビデオを見るに限るということで、録画したばかりの「ノスタルジア」を見る。アンドレイ・タルコフスキー監督のこの作品、ずっと見たかったし、半年前まではビデオ屋にも置いてあったから、思い立ったらいつでも見れたはずなのに、なぜか今。
見終わって思うのは、タルコフスキーの映像がどれほど押井守の作品に影響を及ぼしたかということ。
この映画、舞台は中部イタリアのとある温泉地。主な登場人物は、ロシア人作家とその秘書兼恋人(?←この?は話の中で重要ポイントになる)それから、かつて家族を「世界の終わりから守るため」と称して7年間自宅に監禁した男。使われている言葉はイタリア語。実はこれ、監督はロシア人だが、イタリア映画。ロシア人がイタリア語を使って撮る映画。そこにまず、ノスタルジアの意味があるような。
ストーリーは最低限の組み立てしかない。会話もまたしかり。BGMはごく限られたシーンで第九の4楽章の断片が。ただそれだけ。
ロシア人作曲家の伝記を執筆中の作家が、その足跡をたどってイタリアまで来る。立ち寄った温泉地で、家族を7年間自宅監禁した男と出会う。作家はその男に興味を覚え、自宅(例の事件の折に半ば焼け落ちている)へ押しかけて話をし、頼みを聞き入れることにする。それは、「世界を救うため」ろうそくの火を持って温泉を渡って欲しいというものだった。
その間に、作家は秘書兼恋人と大喧嘩をして立ち去られてしまう。というか、一方的にケンカを吹っかけられたように見えるのだが、推察するに、旅に出たとたん故郷ロシアのことが頭から離れず、微妙に不機嫌なまま自分の世界にこもる男の態度に、女が業を煮やしたという雰囲気だった。あるいは男と女の間に横たわる深い淵というか。

他の作品と同じく、この映画で圧倒的に雄弁だったのは映像。まるで動きのある絵画を見ているようだった。少しづつカメラを後へ引いてゆく超ロングカット、切り取られた枠の中を人物が移動して消えたかと思うと再び、ぬっと現れるシーン、画面の色合いをモノトーンにしてそれが主人公の頭の中の映像であることを示すやり方などなど、独特の手法が随所に見られる。というか、ほとんどそんなものばかり。
その手法のいくつかは押井作品のあれこれに引用されていたりする。(たとえば「GHOST IN THE SHELL」や「天使の卵」のラストシーンとか、「アヴァロン」における色使いとか)
で、結局映像に酔っている間に130分の作品が終わっていた。

なぜ男が7年間家族を閉じ込めなくてはならなかったのか、ロシア人作家は、その理由がわかる気がするとつぶやいていた。もしかすると、彼は自分の故国と重ねてそう感じたのだろうか。大切なものは内に秘めてこそ、と。そして世界を救うためには生贄の羊が必要だと。
この映画の主題をさらに推し進めてゆくとあの「サクリファイス」になるんだな。それは痛切に感じる。
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