息子用のコミックといっしょにこっそりレンタルしてきた。社会的問題作との評判を聞いて以来、ぜひ読みたいと思っていた手塚作品。なんでも実写化されるそうで、それでレンタルコーナーに置いてあった模様。
読み終わった感想は、漫画の神様の真髄を見せつけられたと言うしかない。容姿端麗で頭脳明晰な上、道徳観念をかけらも持ち合わせない悪魔的魅力を持つ主人公を見ているうちに、オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を思い出した。
主人公が悪魔的なら、主人公のパートナーは何と、神に仕える(たぶんカトリックの)神父。この二人、精神面だけでなく肉体関係でつながっているのがミソ。男同士というだけなら珍しくも何ともないが、殺人鬼と神父という組み合わせの大胆さにうなった。
かつて、沖縄と鹿児島の間にあるとされる架空の小さな島で、「某国」が秘蔵していたMW(ムウ)という殺人ガスが漏れて島民全員が死亡するという事件があったが、その時、生き延びたのが、この二人だけだった。この事件は政治的配慮によりもみ消されたが、二人の人生はその後大きく狂ってゆく。ひとりは人を陥れることを無常の喜びとする殺人鬼に、もうひとりは神の道へ。
主人公は無差別に人を殺めるかというと、そうではなく、一応目的はある。MWガス事件に関わる人間を発見し、隠蔽工作をした黒幕を潰すという目的。ところがそれは復讐ではなく、ただの余興らしい。主人公の真の目的はMWガスを手に入れ、全世界にばらまくことだった。なにしろ彼は少年のころ、MWガスで死亡した人々の苦悶の表情に見とれたというのだから。世界中で死にゆく人々を堪能し、そして自分も少年の時に触れたMWガスの後遺症で死ぬ。こんな筋書きが主人公の頭の中に描かれていた。この世界規模の殺意、そんじょそこらの悪魔には真似できまい。
一方、神父は主人公と縁を切ろうとしても、どうしても切れない。彼を殺人者として告発することは可能だが、それでは主人公の魂が救われたことにならないと信じきっているため、無駄と知りつつ、自分の力で主人公を改心させようとする。実際は主人公にさんざん翻弄されたあげく偽善者呼ばわりされるだけなのだが。それでも神父は挫けない。己れの罪深さを自覚し地獄の業火に焼かれることを覚悟で、主人公と個人的に対決しようとする。
さて、勝ったのはどちらか? それは読んでみてのお楽しみ。
いや、読んでみても、あの終わり方では判断がつきかねるかもしれない。
自分的には、どちらも「自分の勝ち」と思っているところがイタいな、と思う。
で、結局この物語は何だったんだろうと考えてみる。
よくある感想かもしれないけど、漫画の神様は、世の中に善悪や正邪のラインを引くことの愚かさを描きたかったように思う。神と悪魔は同一の存在であり、人間の手の届かないところで世界をこねくりまわしているのだ。
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