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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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ETV特集・石ノ森章太郎

「石ノ森章太郎・サイボーグ009を作り出した男」(2007/5/25放送)

自分的副題:答えのない質問
名作コミックが真正面から取り上げられる時代になったのだなぁとしみじみ。
009に関してはファン歴2×年の管理人だけども、あまり009を知らない視聴者でもとりあえず理解できようなつくりになっているので、このレビューもそれに準じて書いてみる。

漫画評論に定評のある精神科医・名越康文が、養老孟司(解剖学者)、姜尚中(政治学者)、植島啓司(宗教人類学者)、マイケル・ウスラン(映画プロデューサー)と語り合い、作品の魅力について語るという趣向。

大層な肩書きのついたメンバーだけども、009及び石ノ森のファンという視点で語っているので、内容は専門分野とはあまり関係なく、さまざまな切り口で楽しめた。
(以下、とても長いので畳みます)

最初のインタビューは養老氏。「戦中生まれの自分たち(含む石ノ森氏)の年代は、目に見えるモノしか信じられず、理念的なイデオロギーや信念は徹底的に疑った。モノは裏切らないから」という話が登場する。
そこで名越氏がすとんと納得するのが面白かった。どうして009に登場するゴーレムや世界樹の中身までもが機械だったのかと。
サイボーグという発想自体がモノ信仰と結びついていたのかもしれない。

つぎの姜氏は009にアイデンティティーの問題を見る。半分機械で半分は人間という中途半端な存在のサイボーグ戦士たちは、在日韓国人としてやはりアイデンティティーの問題に悩む氏の心を掴んだのだとか。
さらに一歩踏み込んで、誕生編を引き合いに出しながら、009は誕生に関するイメージまでひっくり返してみせたという。一般に「誕生」いえばそれだけでピュアで明るいイメージがあるが、009たちは、悪の組織によって悪の兵器としてサイボーグ化された。彼らの誕生には暗い影がつきまとう。実は、石ノ森ヒーローは悪の組織から生まれたというのが実に多い。仮面ライダーしかり、キカイダーしかり。

さらにダメ押しをするかのごとく、サイボーグたちはみな、まっとうでない過去を背負っている。001は実父の手で脳を改造され、母は父に殺された。002はウエストサイドのストリートで人殺しをし、004は東ドイツから西への亡命に失敗して恋人を失った。005は都会で職が得られないネイティブアメリカン、006は中国の貧農で餓死寸前、007はアル中で見を持ち崩したイギリスの俳優、アフリカ出身の008は奴隷商船からの逃亡者。日本人とアメリカ兵との間に生まれた009は少年院から脱走中のところをブラックゴーストに捕まった。唯一、幸せな日常を送っていたのは紅一点の003のみ。
社会からはじかれた者たちが正義の味方になるなんて、どういうアイロニーだろう。
個人的に思うのは、009たちは正義の味方なんて自覚はないということ。悪の組織を裏切ったがために、その組織を潰さない限り自分たちに平安は訪れない、だから戦う。極端な話、「正義の味方」は副産物だ。もちろん、世界が平和にならない限り自分たちにも平安は訪れないので、結局世界平和=自分たちの平安となるのだが。

石ノ森氏のエッセイによれば、氏は一生を漫画家としてすごすつもりはなく、資金を稼いだら大学に行き、ゆくゆくは小説家か映画監督になりたかったという。氏自身、漫画というメディアを小説や映画のワンランク下に置いていたようだ。ところが意に反して仕事はどんどん舞い込み、勉強どころではない。やがて同居していた姉が亡くなり、一度は漫画を描く意欲を失う。世界一周の旅をしたのち、トキワ荘に帰ってきてもう一度漫画を描く決意をした。そして描いたのがサイボーグ009だった。

さて、つぎは、シリーズ中最大の問題作として有名な「天使編」と「神々との戦い編」をふまえ、宗教人類学者の植島氏にインタビュー。なぜ問題作かといえば、どちらも中途半端な状態で終わっているからだ。作者としてはどうしても完結させたかったようだが、それがかなう前に病気で他界してしまった。
この二つのシリーズで、009たちはなんと人類を創造した「神」と対決することになる。しかし、どうやって神と戦い、どんな結論が待っているのか、それを探っているうちに行き詰まってしまったようだ。
エンタとして「天使編」の続きを書くことは充分可能だったのに(たとえば、「神」の正体が実は世界征服をたくらむ悪党だったとかにする/笑)、石ノ森氏はあえてそれを拒否した、と名越氏は指摘している。だが、それをあえてしなかったということは、本気で「神とは何者か」という問題とぶつかる予定だったわけだ。
今となっては遺された構想ノートに手がかりを求めるしかなく、初めて公開された構想ノートを食い入るように見つめる名越氏の目が印象的だった。
(ちなみに「神々~編」を小説化する作業は息子の小野寺氏が実行中)

最後、四人目はスパイダーマンを実写化した映画プロデューサーのウスラン氏。コミックのコレクターでもある彼は、40歳を過ぎて日本のマンガと出会い、特に石ノ森作品にひかれた。彼いわく、009では人生における重要な問題が問われているという。自分は何ものか、神とはなんぞや、友情とは? 正義とは? 自己犠牲とは?……などなど。そういった問いかけの答えは読者にゆだねられていて、そこが魅力だとも。
009実写版inハリウッドの噂はすでに流れているが、どうなることやら。 

インタビューの合間をぬって、原作の名場面(主に誕生編、ヨミ編、天使編、神々との戦い編)が紹介された。あらためて見てみると意外に新鮮だった。
特にヨミ編は何度読んでもすごいと思う。地底世界の設定、ボス(もちろんボグート)を倒すシーン、ブラックゴーストの正体。どれも意表をつき、しかも人間の業の深さを映し出している。
最後の流れ星のシーンはもう、胸にしみてしみて、初めて読んだときは涙にくれそうになった。悪の組織から生まれた正義の味方が命をかけて悪者を倒し、その報酬が流れ星になることだなんて! 切なすぎて、格好よすぎる。
だから当初の予定通りヨミ編で終わっていれば、と嘆くファンが多いのもうなずけるし、逆に「終わらないで」という声が多かったのもわかる。サイボーグ009はとことんアンビヴァレント(どっちつかず)なのだ。

**Special Thanks**
見逃した管理人のために録画を送ってくださったMさん、ありがとうございました! <(_ _)> 
何が嬉しかったって、原作の004をたっぷり拝めたことです(笑)。
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