~日本海に沈む夕日を求めて丹後半島・後編~
8月4日・後半~5日〈海だ!〉日本海の海は、太平洋側とはずい分雰囲気が違う。浜から数メートル離れるともう、足がつかないし、水温も低い。そのかわり水はきれいで、魚の稚魚がその辺を泳ぎ、水深があるおかげで、近くの岩場から飛び込みごっこもできる。後で確認したら、この岩場は「立岩」という有名な巨岩のはしっこだった。
昨年までとは様相の違う海に、子供たちは最初はとまどいつつも、岩場探検をしたり、こわごわながらも飛び込みごっこをはじめ、夢中になって遊び始める。
そうして2時間ぐらい遊んだだろうか。日が暮れる前にバーベキューを済ませたいので、近くのスーパーまで買出しに行く。帰り道に「アイスキャンディ」と看板の出ている
民家でアイスバーを買って食べた。この地方の特産、黒豆を使ったアイスバーは、非常にさっぱりしていて美味しかった。
バーベキューの火を起していると、どんどん日が傾いてゆく。憧れだった日本海の夕日だ。11年前、バイクツーリングで福井に出かけたとき徳山ダム付近で迷子になって、夕日を見損ねた。美しいと噂の日本海の夕暮れは、それ以来、どこかしら心に引っかかっていたのだ。
太陽が海に突き出した山に沈んでゆく。それにつれ、昼日中は真っ青だった空が、黄色に、オレンジに、ピンクに、うす紫にと、それこそ七色に変化する。娘はその様子をうっとり眺めていた。もちろん自分も。
ふと、太陽が沈んだあたりから斜め60度の角度で上のほうへ虹がのびているのに気がついた。ごくごく薄い光だったので、とてもわかりづらかったが、確かに七色の帯がのびていた。もし虹なら太陽と反対がわに出るはずだ。何だったんだろう。
食後、ざっと片づけをしてすぐとなりにある「間人温泉」へ。キャンプではまともなお風呂が使えない事が多いので温泉が近くにあると本当に助かる。もっとも、せっかく汗を流してもテントにはいるとまた汗ばんでくるのだけど。(それに今年は、入り口の向きを間違えて風が通りにくかった)
寝る前、ダンナはカニとりの仕掛けを海に置いてきたようだが、その成果はいかに……。
翌朝朝起きると、外にはいちめん露が降りていた。車の表面には細かい水の粒がびっしりとつき、夜中も外に干してあった水着は、しっとりを通り越してべったり。太陽はこれからのぼるかな、というところ。手早く朝食を準備してテントを畳まないと、あっという間に熱くなる。
夕べの仕掛けは、坊主だった。餌だけ持っていかれて、ウツボさえ入っておらず、きれいに空っぽだった。
さて本日は東に走って舞鶴へ。海軍記念館、赤レンガ倉庫群、引揚記念館を見る。
赤レンガはなかなかレトロな雰囲気を漂わせていて写真に取れたら取りたかったが、車を止めるのに良さそうな場所がなくて、見るだけに終わった。
海軍記念館と引揚記念館は、戦争の色濃く、また当時のことを風化させまいとする力を感じる。舞鶴港は、引揚船受け入れ港として指定されていたので、それで記念館ができたわけだが、満州から命からがら引き上げてきた人々、捕虜となってシベリアで強制労働させられ、幸運にも生きて帰って来れた人、そんな人々が舞鶴の地を踏んだとき、どんなに感慨溢れたことだろうと思う。あの「岸壁の母」のモデルとなった人はこの港へ息子を探して毎日通いつめたという。
大人には興味深いこれらの施設も、子どもにはちょっと難しくて、特に下の子は「つまんない」とぐずっていたな。かといって彼にわかるように説明するのはちょっと難しい。
舞鶴のあとは途中でお昼を取りつつ、小浜のフィッシャーマンズワーフへ。新鮮な魚介類や加工品がたくさんあると期待して、ここで旅の土産を買うつもりでいたら、ちょっと肩透かし。もちろん魚コーナーもあったけど、良くあるお饅頭やクッキーやケーキ、それに玩具のたぐいが主。
仕方ないので、実家には適当な食べ物を、名産品らしい塗り箸は自宅使い用にゲット。子どもの土産には「とと合わせ」という魚カルタを買ってやった。だが、これはさんざんゴネたあとに決まったもの。最初、息子はキーホルダーやどこにでもありそうな玩具を欲しがったのだ。でも、せっかくお金を使うならその土地ならではの何かを買いたい。子どもの欲求と親の思惑がぶつかって、ここでもまた息子はぐずぐず涙ぐむ。結局魚カルタは一度あけたきり、引出しの中に眠っているみたいだ。
さあ、あとは帰るだけ。琵琶湖目指して南下しつつ、北陸自動車道に乗る。途中で道の駅やら牧場などに寄って休憩(おやつの買い食いともいう)しつつ、夕方には帰宅。いやもう、家の中はとんでもなく暑かった。
そして翌6日にはオーケストラの練習が控えていて、これが今年の旅行が短くなった原因だ。休もうにも、ビオラ弾きって、本当に人数が少ないから……。
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