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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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大和につられて600キロの旅 その2

二日目は、「旧海軍兵学校」と「大和ミュージアム」の見学。いやー、呉っていうのは軍事的に非常に重要な場所だったんだ。学校で習うより現地で実際に見るのが一番。
見学した場所が場所だけに、ところどころで毒を吐いてます。

3月29日

朝の九時に宿を出て、江田島市にある旧海軍兵学校へ向かう。軍がなくなった今は、海上自衛隊第1術科学校として使われており、平日休日を問わず一般見学を受け付けている。
これが近いようで遠い。それだけでなく、カーナビがないにもかかわらず、中国地方の地図を持たずに出てきて(今後使うことはないと予想されるので、ダンナが買うのをしぶった)頼りは観光ガイドチラシの簡単な地図だけ。予想外の渋滞に合い、曲がり角を間違え、ようやく到着したときには見学開始時間をわずかに過ぎていた。
次の回まで待たなくてはいけないかと思ったら、そうではなく、受付の人が気を利かせて、すでに出発した見学者の中に混ぜてくれた。
kaigun-gakkou
実際に使われている学校を授業中に見学するので、自由見学ではなく、かならず担当官が一人ついて解説しながら決められたコースをまわる。
明治時代に設立されただけあって、古いだけでなく、美しい建物がとても良い状態で残っている。あまりにきれいなので、私など、不遜にも「この渡り廊下は物語の場面で使えるだろうか」などと考えしまうのだった。
右の写真は、今も使われている校舎。建てられたのは明治時代。ここで使われているレンガはイギリスから1個ずつ油紙にくるまれて輸入されたもので、1個当たりの値段は、当時の左官の日当より高かったそうな。

圧巻は学内の資料館。東郷元帥の遺髪が納められている場所。「ここは撮影禁止です」と言い渡された館内には太平洋戦争関連の軍事的資料がずらり。遺品、遺書、人間魚雷が作られた経緯、真珠湾で特殊工作用の潜水艦に乗り込んだ兵士のリスト、特攻で亡くなった兵士の名簿などなど。
「Remember, Pearl Harbor」にまつわる話も聞いた。厳密に言うと、日本の奇襲は奇襲でなかったという話。あまりおおっぴらには言われていないが…以下略(?)アメリカの上層部が日本軍来襲の情報を握りつぶし、その結果奇襲を受けたという形になったらしい。当時の大統領は反戦を掲げていたが、イギリスから「お前も戦え」という圧力が強く、結局ああいう形で攻撃を受ければ開戦もやむを得なくなるだろうという当局の判断が働き…という成り行き。戦争に卑怯も×そもあるもんか、てことだ。
見学を済ませ、昼は学内の食堂で海軍カレー。いったん洋上に出てずっと船で過ごしていると曜日感覚がなくなるため、わざと金曜日をカレーの日にしたのが始まりらしい。味は、ごくごく普通の中辛カレーだった。

次は本命「大和ミュージアム」こと「呉市海事歴史科学館」へ。江田島から呉へは海を渡ればすぐだけど、車ゆえに橋を渡るため遠回りしていかなくてはならない。島を実感。
島といえば走っている最中にカキの養殖場があちこちで見かけた。それと同じくらいカキの殻捨て場も多い。旅行から帰ってきた数日後、テレビのニュースで「カキの生産量は、広島市を抜いて江田島市が全国トップになりました」ということを知った。あのカキ殼は伊達ではなかったのね。あいにく3月末だからシーズンは終わっているけど。
「えっ?国道のバイパス? そんなの地図にないよ」てな具合で微妙に迷いつつ、無事にミュージアムに到着。昨年の4月にオープンしたばかりとあって、見た目も中もきれいだしデザインが今様。
yamato1/10
展示室に入ると、まずは1/10サイズの戦艦大和に迎えられる。いやはや「何もかも懐かしい」ではないが、感慨深い。前日見たロケセットは大きすぎてイマイチ実感がわかなかったが、このサイズだと、全貌を見渡すことが出るし、何より、あの赤い船底部分! 
宇宙戦艦は、本当に実物のとおりに描かれていたんだ。

この大きなレプリカの隣に資料室があって、そこでは海軍や造船の歴史、これまで日本が作ってきた軍艦の資料及び模型、大和誕生から沈没までのヒストリー、大和で使われた技術の紹介、戦時中の生活をしのばせる資料、これからの造船技術などの展示がなされていた。
大和をはさんで反対側の展示室には、復元された日本の戦闘機などがあった。そこから階段をのぼって次の展示室に行くと……
宇宙戦艦ヤマトの部屋だった。松本零士氏の作品群を紹介する部屋。ヤマトだけではない。ハーロックもエメラルダスもトチローもメーテルもいる。感慨にひたることしばし。
松本氏は戦中生まれ。戦争を体感した氏が、沈没した大和を宇宙戦艦として蘇らせようとした時、決して生半可な気持ちで描いたわけではないのだと、せめて架空の世界の中では生きて還ってきて欲しいという強い願いのもとに描かれたのだと、それは理解できた。
ただ、「さらば宇宙戦艦ヤマト」のラストはまぎれもなく特攻そのものだ。あのラストが続編の誕生によってなかったことにされたのは、やはり特攻はまずいという判断が働いたのか、人気シリーズゆえに終わらせるなと命令が下りたのか。裏の事情を知らないからなんとも言えないけれど思い返せば返すほど気持ちは複雑。
さらに階段を上ったところにある最上階の展示室は、ほとんど科学館の体験コーナー。水圧の実験、潜望鏡のしくみ、プロペラによる推進力の実験、PCでクイズに挑戦などなど、子どもたちが一番喜ぶ部屋だった。

あとはお土産を買って帰るだけ。呉を出たのが午後3時半ごろ。ここから長い帰路につく。
まず、高速のインターまで出るのに2時間。ちょうど夕方のラッシュにひっかかったのが痛かった。そこからトラックの間をぬうようにして走りつづけ、岡山県内のインターで夕食をとり、きびだんごを買って、8時ごろに再び太陽の塔のわきを走り抜けた。
天気がおかしくなったのは京都をすぎ、滋賀に入ってからだ。滋賀から岐阜にかけて関ケ原(あの合戦で有名な場所)を通るのだが、そこで雪に見舞われた。3月末だというのに、だ。ぼた雪かとおもったら、道路のはしにうっすらと積もり始めている。冗談じゃない。10時台に愛知県内へ入った時には、さすがに雪は雨に変わっていてほっとしたが、自宅近くになったらまた雪になっていた。そうだ、我が家は山すそにあるのだった。
こうして無事に帰還したのが夜中の11時すぎ。風呂にもはいらず、まっすぐ布団へ直行しましたとさ。(おまけへとつづく)
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