子どもの日には、敦賀の先、美浜町の海辺で魚釣り。
朝(いや、夜中)の3時に家を出て5時には釣り場に到着。
お昼を挟んで3時過ぎまで釣り。途中で仮眠タイムあり。
(女の子チームのみ♪)
釣果→20㎝弱のアイナメと海タナゴ各2匹ずつ、稚アユ数匹など。
どうにか夕食のおかずとして間に合った。
本当は京都国立近代美術館に行きたかったし、はっきり言って釣りをしても(自分は)釣れないのでヒマなのだが、風光明媚なものに囲まれた時間を過ごしたので良しとしよう。本を読む代わりに自然現象という名のテキストを読みこんだということで。
釣り場についてまず驚いたのが、「誰もいない」
明らかに釣り公園として整備されているにもかかわらず、防波堤は貸し切り状態。
理由は朝の五時だったこと、目の前に原子力発電所があったこと(それは……ないか)。
7時過ぎから家族連れが何組かやってくる。でも例えば浜名湖の釣り公園を思うと、全然がらあき。実はもっとよく釣れる場所が近くにあったのかもしれない。
まあ、そんなことはどうでもよくて、何より感動したのが水の透明度。
どう見積もっても水深5メートル以上はあるだろうという海底までクリアに見える。そこまで透明だと、海の中の様子が手に取るようにわかる。
どのサイズの魚がどこに群れを作って泳いでいるか、垂らした釣りの仕掛けにどう反応するかという実用的な情報はもちろん、海底に散らばるヒトデやごろ寝するナマコもくっきり。
海草の森では、なんとウミウシがあちこちで日光浴中。まるでサルが木の枝にしがみついてくつろいでいるかのように、海草に身体の一部を巻き付け、あとは潮の流れに身を委ね、のんびりと漂っている。たまに運が悪いと人間の投げた釣り針に引っかかって引き上げられ、その時は例の紫の液体をお見舞いし、しばらくもみ合ったあげくに海中へ帰還。
たまに小さなサメが回遊してきて、小魚の群れがたちまち姿をくらますのも面白い。
人間の遠い祖先は、豊かな海中で暮らしていたにもかかわらず、いったいどうして危険な陸地へ進出しようと思い立ったのか。空と太陽と水面に映る木々を見上げているうち、未知の世界に希望を抱くようになったのだろうか。海よりも豊かな世界があるかもしれないと。
追記:
夕食用にウミタナゴをさばいていたら、お腹の中から小魚がいっぱい出てきて驚いた。最初は釣られる直前に食べた小魚だろうと思ったが、そういえばウミタナゴは卵胎生だったぞと思い出す。つまり卵をお腹の中で孵す。ということは、小魚はウミタナゴのベイビーちゃん! どうりでどれもこれも同じ姿形。ガラスみたいに透き通っていて、なんかかわいい。それ以前に自然の驚異を目の当たりにしたようで、軽く感動した。
今思えば、処分せず、かき揚げとかにして一緒に食べてあげればよかった。そうすればお腹の中で親と再会…(違!)←ピノキオじゃないんだから、そういう妄想はやめましょう。
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