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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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小学生でディベートとは

先だっての土曜日は、小学校の参観日。休日の参観日なので、父親の参観を前提として趣向をこらしたクラスが多くあった。低学年は体育の授業で親子でゲームやドッチボールをしたり、図工の授業で親子で作品を作ったりする。高学年は親子で介護体験、というのもあった。
それなりに面白いのだが、まあ、半分お遊び? そんな中で、興味深かったのが6年生のディベート(討論会)の授業。たまたまうちの娘のクラスがそれで、かなり本格的なのには驚いた。

ディベートの授業というのはアメリカの小学校などではよく行われているが、あるテーマについて賛成・反対に別れて議論を戦わせ、どちらの言い分がより納得できるものだったかで勝ち負けを競うもの。賛成・反対のどちらの陣営に入るかは自動的に振り分けられ、各個人本来の立場や考えは関係ない。つまり最初からゲームとして意見を戦わせる。まあ、弁護士ゲームといったところか。

さて、娘のクラスはどんなものかと教室をのぞいたら、机がちゃんと両陣営で向かい合わせになるよう並べられ、前には司会が一人、後ろにはジャッジ3人が控えていた。
黒板には討論会の手順として「賛成側第一立論・反対側第一立論(各2分)」という具合に細かく項目が書かれていて、途中で作戦タイム(3分)というのが入り、最後には結論、そして判定とある。

テーマは「弁当より給食のほうがいい」。これについて賛成側(給食派)と反対派(弁当派)に別れ、互いにメリットを主張し、相手方のデメリットを突く。
例えば、弁当は手作りだからいい、いや、弁当は冷凍食品が多いからいやだ、給食は嫌いなものを食べなくてはいけない、いや、給食でも嫌いなものは量を減らせるし、嫌いなものも少しずつ食べないといつまでたっても苦手なままだ、でも給食だとアレルギーのある子は困る……という調子。
たまに細部に入りすぎて、本題からそれた言い合いになることもあるけど、それはご愛嬌。ちゃんと本筋に戻す発言が出る。

ひと通り議論が終わると、今度は相手の発言のいいところをほめる時間になる。あくまでこれはゲームだと認識するために必要なステップなのだろう。その間にジャッジは採点をする。
そして結果発表。三人のジャッジが点数とコメントを述べる。点数をつける基準や判定項目はいくつかあるのだろうけど、それまではわからなかった。今回は給食賛成派が勝ち。

今の時代はこんな授業もありなんだなあ。羨ましい。大人だって、きちんと物事を説明し論理的に話し合うのは難しいからね。
ちなみに、同じ6年生でも他のクラスは普通の授業だったらしい。
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小学生でディベートとは

  • by めりる
  • 2007/05/29(Tue)16:41
  • Edit
ディベート!
懐かしくて反応してしまいました。
大学の英会話サークルでやりまして、東京の大会にまで遠征しました。当時の私にとっては上京は一大イベントでした。
テーマは「Brain Death is a Human Death or Not ?」脳死を人の死と認めるか否か?でした。まだ「脳死」という言葉も目新しくて、すごく重いテーマでした。トシがバレますね。OTL ちなみにAffirmative(賛成)Negative(反対)両方やりました。結果は一回戦敗退でした…。orz まぁ地方の小さな大学ですから。Debateの何たるかもわからずに参加したし。

O-bakeさんならご存知と思いますが、Debateには厳然たるルールがあります。その一つがEvidence(論拠)です。要するにデータつまり数字です。でも脳死って数値化しにくいですよねぇ。もっぱらアンケート頼りになります。医者の何パーセントが脳死を認めてるか認めてないか、世論調査で一般市民の何割がどう思ってるか、そしてその調査は信頼できる機関が行ったものか、などがチェックされます。それが採点に結び付くのですが、当時は色々聞かされていたのですが詳しいことはもう忘れました…。準備は図書館で海老釣り(新聞記事漁り)が主で英語というより社会学の勉強になりました。…はっ、だから負けたのか!(^^;)

海老無しの論戦はディベートとは認められずCats and Dogsと呼ばれます。人間なら証拠を出せ、ということでしょうか。
娘さんの例なら、手作りだから弁当がいいと主張したいなら、世の小学生の何%がそう思っているかアンケートを取ってそれを提示しないといけません。それも賛成の割合があまり低いと海老の役割を果たしません。何割までなら良いのかボーダーラインがあったはずなのですが。もちろん、小学校の授業ですから海老までとなると大変だし第一一時間ではできませんね。

ジャッジは善悪の判断を下すのではなく、あくまでどちらがルールどおりに討論したか、を採点します。このへん誤解されやすいのですが。脳死が社会的に認知された今でも、それが真実かどうかは紙の味噌汁だと私は思うのです。
しかしこうして振り返ってみるとつくづく、欧米の文化って主張社会なんだなーと痛感します。小学校でこうした授業があるのは好ましいとは思うのですが、あまり行き過ぎるのも何だかなぁ、と思ってしまう私はのほほんとした日本人以外の何者でもありません。

長々とすみませんでした。O-bakeさんならここまで語っても大丈夫かなと甘えつつ。アレでしたら削ってくださいーと下駄を預けて失礼します。(裸足で?!)

Re:お預かりした下駄で天気予報

  • by O-bake
  • 2007/05/30 00:53
なんてしませんからご安心を。

学生の時にご経験がおありだとは素晴らしい。しかも英語で討論ですね? 私の通っていた大学にもありました。当時はクラブハウスの片隅で楽器相手に悶々と過ごす日々でしたので、そういったサークルの人々はとても華やかに映りましたとも。

英語を学ぶ学生のディベートですから、それはシビアなものがあったと思います。脳死問題とは、これまた難しいテーマでしたね。今でも白黒がついていませんし。(といいますか、臓器移植や尊厳死、その他諸々の問題と結びついて、いっそう複雑になってる気がします)

論拠>なるほど、これが採点対象の一つなんですね。そして、これなんですよ、小学生の討論を見ていて可愛いなあと思ったのは。とりあえず意見は言うものの、下調べしたはずの論拠が出てこない。また、論拠を求める発言もない。参観しつつ心の中で(その根拠は?)と何度突っ込んだことか。まさに犬とネコの戦いになってました。(どうでもいいことなんですが、土砂降りのことを"rain cats and dogs”なんて言ったりもしますね。今時流行らない言い回しらしいですけど)

ジャッジの判断>ディベートはスポーツと同じで、ルールに従って勝敗が決まるとは知ってました。だから、おっしゃる通り、勝った論が正論とは限らないんですよね。ただ、その基準というか詳しいルールが??でして、めりるさんのおかげで少し掴めました。

欧米の文化はまさに、言葉は悪いですが「言ったもん勝ち」だと思います。だから、空気を読むよりむしろ、はっきり言葉で気持ちを伝えるし、沈黙は歓迎されないんですね。子供たちには、そういう世界もあるんだよ、ということを知らせる意味でも、そして感情的にならず、論理的に自分の意見を述べる練習としても、ディベートの授業は年に何度かやってほしいものだと思います。

これも行き過ぎると、黒を白と言いくるめるようになったりして、かえって倫理的に正しいことがわからなくなってしまいそうですね。まあ、ディベートはあくまでテクニックですから、要は使い方次第なのでしょう。

とても貴重かつ興味深いコメントを有難うございました。

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