最近巷を騒がせている事業仕分け。芸術・文化方面がバッサバッサ切られている模様。
「芸術創造活動特別推進事業助成金の削減・廃止」と「プロ・オーケストラによる本物の舞台芸術体験事業の廃止」に反対する署名活動の依頼、またはそれに関する話題をよく目にするようになった。
もともと署名と募金活動にはあまり乗り気でない管理人、今回の署名(本当は政府の担当者へのメール
攻撃送信)依頼についても、今ひとつすっきりしない感覚を覚えて悩みつつ、ついったーをつらつら眺めていたら、そうかそうなんだよ!と膝を打ちたくなる記事を発見。
ブログ「八分音符の憂鬱」より「国家と芸術2」
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2009/12/post-6e17.html
今回の新政権による助成カットが心を冷えさせるのは、国の不見識のせいだけでなく「私は科学や文化芸術を理解する気もお金を出す気も見に行く気も支援する気もない。そういうことはすべて国がやるべきだ」という国民ひとりひとりの意識(本音?)が見え隠れするからだろう。
引きこもり主婦のような生活をしていて、ろくにコンサートにも足を運べないし、手にする本はほとんどが図書館からの借り物あるいは古本だという自分が言うのもなんだけど、文化を支えるのは個人の懐と好奇心です。
実際オーケストラなんかは運営が大変なので、アマチュアの団体だと市や町の援助を受けつつ紐付きで運営していることが多い。たとえば演奏会会場や練習場所を優先的に貸してもらえる代わりに、年に一度は市や町の依頼で特定のコンサートを開かなくてはいけない。
どの芸術団体にしても、国から助成金を多くもらえばもらうほど、活動の自由に制限がつくことは覚悟しなくちゃいけないはずだ。助成金の出所は税金なのだから、その税金を使った活動は国民の皆さん(笑)に納得してもらえるだけの成果を出さなくてはいけなくなる。しかし芸術と成果主義がなじむとは思えない。
でも教育関係の助成金は削るべきではないと思う。正しい方向に活用できれば必ず数十年後に成果が出ることだから。そして小中学校で使われている「心のノート」廃止には大いに賛成。ああいった内容は学校で習うことじゃない。地域社会が教えてゆくことだ。むしろ大人たちに「心のノート」が必要なくらいじゃないのかな。
と、珍しく熱く書いてしまったが、やっぱり話のつなげ方が微妙にズレてるのはいつもと変わらないなぁ…。
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