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びおら弾きの微妙にズレた日々

犬語のレッスン最終段階

「お犬様」が我が家に来てからすでに半年以上。
きゃつは室内を自由に歩きまわり、時にはマーキングを行いつつ(そのたびにど叱られてはしょげるがすぐに忘れる)、まるで10年も前から家に居るかのような態度。
互いのコミュニケーション力はいかほど進歩しただろうか?


「ワンワン」で通じるのようになってひと安心したのは初夏のころだっただろうか。
しかし、それはまだ初心者の段階。まだまだ先があったのだ。

「ぐふぐふ」。
今は鼻を鳴らす音でだいたいの用がわかってしまうのだった。例えば、掃き出し窓の前で軽く鼻を鳴らし、じっと人の顔を見る。これは「シッコするから庭へ出せ」。あるいはフンフン言いながら餌入れのまわりをぐるぐるする。「メシがない。どうなっとるんじゃ」。人がソファでよっこらしょとくつろいでいると、そそくさとやってきて、前足でこっちの手を軽くひっかく。「暇なら相手しろ」。
意思疎通はスムーズになったが王様キャラは相変わらずだ。

おかげで犬は吠えることを忘れかかって、たまに吠えると声が裏返るほどになった。(続きあります)
本題はここから。

犬はひとの言わんとすることを確かに理解してる。ただし、言葉のレベルではなく、言葉のかたちを取る前の、意思や生の感情を読む。だから、犬嫌いのひとや犬恐怖症の人が犬に警戒心を与えるのは当然のこと。イライラを抱えたまま犬を呼んでも嫌がって来ないし、気持ちと矛盾した言葉は犬に届かない。

犬は添い寝をする。家族の誰かがソファでうたた寝してると、必ずすぐ脇で、犬が同じような格好してぐうぐう寝てる。まるで夢を共有しているかのよう。あるいはうたた寝してなくても、犬は継続的に飼い主の感情や無意識の流れを感じ取っているようかのような言動を見せる。
犬が人間の友と言われる所以はここにあるのだろう。ただ従順なのではない。飼い主の意識の流れに同調できるからだ。

おそらく、この現象は犬だけでなく猫、牛、馬など人間と親しく接触する哺乳類共通なのではないかな。太古の昔、人類が森でさまざまな動物と共に生きていたころの記憶、動物と当たり前に意思疎通ができていた頃の記憶を呼び覚ましてくれるのではないかと。
近所のおじさんがヤギを飼っていて、「動物の世話は手がかかるが、その価値が十分にある」とのたまってたしね。

押井カントクがあれほど犬に執着する理由がわかったよ。「イノセンス」でなぜバトーが犬を飼わなくちゃいけないかも、犬が何を象徴しているかも。
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