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びおら弾きの微妙にズレた日々

線引きの話――新年のあいさつに変えて

その昔、中二病まっさかりだったころ、友人への年賀状に「お正月なんてイミないし」という内容を書いて送ったら「なんか難しいこと考えてるね」と言われた記憶がある。その当時は、自然の営みを人の都合で勝手に切れ目をつくり、それをさもめでたいことのように祝う習慣が本当に無意味に思えたのだった。

ところが、結婚して家庭をもつようになったら、少しずつ考えが変わってきた。まず、一年に一度大掃除のシーズンを作ることが合理的に思えた。基本的に主婦はいつも忙しいので、きっかけがないと面倒な大掃除なんてやらないのだ。そして定期的に大掃除という手入れをすれば家全体が長持ちするし、うまくいけば余計なモノも捨てられる。

とはいえ、大掃除に目覚めてしまったおかげで、毎年年末の我が家は修羅場のような忙しさ。年が明けると疲れてひっくり返っているような感じ。
そんな生活を10年以上続けてわかってきたのは、年末が修羅場であればあるほど、お正月は清々しい。
なんか笑っちゃうような話だけど、ちゃんと意味はある、と思う。
大掃除のことは脇においても、一年の区切りは人間が勝手に作ったものだけど、だからこそ意味があるだろうと、最近思うようになった。
この数年、いろんな本を読んでいくうちに、人間というのは、自然に対して手を加えることが出来るからこそ人間なのだ、という認識ができあがってきた。自然の流れに抵抗なく身をゆだねるならば、それは自然界の動物たちと何ら変わることがない。自然を他者として認識した時点で、ヒトという動物は人間へと進化した。自然を他者として認識できれば、自分に都合よく変えたり操作できるようになる。そうして世界の今の姿が生じたわけだ。問題は山積みだが、とにかく人間は自然に手出しができる。

すると、本来は切れ目なくゆるゆると螺旋のごとく永遠に続く時間に対し、暦を作ることによって、強引に時間に線引きをしてしまう、つまり終わりと始まりを作ってしまう作業は、とても人間らしい行為だということになる。

そして、なぜ終わりと始まりが必要なのかといえば、これはツイッターで誰かがつぶやいていたのだが、死と再生を擬似体験することで、新しいエネルギーを得るからだ。古いものを捨てなければ新しいものは入ってこない。
だから年末といえば大掃除。(これでちゃんとつながった?)


長い前置きはここまで。

昨年はたぶん日本的に大掃除の年だったのだと思う。(まぁ、プライベートでもいろいろあったけどw)古いもの、決別すべきものが何であるかよくわかったのだから、今年以降は新しい価値を積み上げてゆく年になる。と思う。

ということで、私は私なりに道を模索するつもりであります。
このブログを訪れて下さった皆様も、それぞれの立ち位置で新しい年を少しでも良くできますように。




……。

本文の方がずいぶん短いですね。

よくあることですね、きっと。
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