今月の上旬、立て続けに3件の訃報がありまして。
一つ目は例のお犬様で、その三日後にお犬様の初代飼い主さん(親戚)、さらに翌日に町内の方。
イヌはさておき(ちゃんと八事の火葬場で焼いてもらったそうで)、人のとむらい方は本当に色んなやり方があるのだなぁと感じた日々だった。
初代飼い主さんは某学会の人で、お葬式の時にはいわゆる「和尚様」は呼ばず「導師」という立場の人とお手伝いさんが数名やってきて、法華経を唱和してゆく。立派な祭壇飾りはない。
また、喪主の方の意向で本当に身内だけのお見送りとしたため、集まったのは10名に満たなかった。それで寂しいお葬式になるかと思えば案外そうでもなく、ごく親しい人たちに囲まれて温かい雰囲気で見送られ、良い旅立ちになった気がする。
このお経のあげ方は、日頃町内で行なっている弘法様のお参りを思い出させた。町内の人たちが都合のつく限り弘法堂に集まり、長老格の人にお経(弘法様なので般若心経)をあげてもらい、その他の人たちもそれに合わせて、一緒に唱える。外部の権威者(つまり和尚様)を呼ばず、自分たちでお経をあげて供養するスタイル。
お葬式にしても、今でこそ専門の葬祭ホールがあって、そこがすべて取り仕切ってくれるけれど、以前は町内や村の人たちが世話をしていたはずだ。その名残りは、今でも自分の町内にはある。
実は、イヌの初代飼い主さんのお通夜にでかけようとしていたところ、町内の人が来て「父が亡くなりました」と連絡にみえたのだ。今年は幸か不幸か会長を引き受けているので、さあ大変。町内の方が亡くなると、町内会長は町内全戸への連絡はもちろん、仕事を休んででも葬儀会場にかけつけてお手伝いをしなくてはいけない。さすがにあわてた。自分の身内の葬儀もあるし、仕事は休みの手配をしなくてはいけない。
まあ、その辺はダンナ氏とうまくやりくりして各方面で多少の不義理は勘弁してもらいつつ、とにかく町内の葬儀には夫婦揃って駆けつけることができたが。
さて、こちらの葬儀は浄土真宗。お経の響きが優しい。前日聞いたばかりのアグレッシブな「ナンミョウホウレンゲ」の連呼とは随分と趣が違うし、ダンナ氏の宗派である曹洞宗の、もったいをつけた賑やかさとも違う。
しかし、宗教の違い以上に「おお」と驚いたのは葬儀の演出方法。アルバムや個人ゆかりの品を受付ホールに展示し、葬儀の司会者は故人のデータ(どんな仕事をし、どんな家族を持ち、何が好きだったか、何を楽しみにしていたか、など)を滔々と、涙を誘うかのように紹介する。そのさまは結婚式と通じるものがある。というか、こんなに演出過剰なお葬式は初めてだった。これは喪主にあたる息子さんの意向も反映されているはずなので、今時の若い人はこういう演出を好むのかなあと、時代を感じてしまった。
いろんなやり方があるけれど、故人が望む形で見送ることができれば一番だし、なにより、送り出す側の気が済むかどうかがポイントなのだろう。
しかし連日のご馳走攻めには参った。親戚の方ではお通夜に助六を振舞ってもらい、翌日初七日法要の精進落としでご馳走をいただき、さらに翌日の町内の葬儀では、会長とご近所への振る舞いとして、これまた豪華な弁当を頂いたし。
ありがたいことだが、とにかく胃腸がつらかった……_| ̄|○
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