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びおら弾きの微妙にズレた日々

願わくは花のもとにて

……その如月の望月のころ
と、続くのですが。

先日、祖母の葬儀に行って来ましたよ。
母側の祖母で、小さい頃はよく面倒を見てもらった。そして密かに名古屋弁の大師匠。
数え年で享年95歳。長らく施設でお世話になっていたものの、大病を患うでもなく、ボケが来るわけでもなく、大往生だったと思う。




大正生まれの祖母の兄弟親戚・知り合いはほとんどあちら側へ行ってしまっているらしく、葬儀は親族のみ、半田市内のお寺で執り行われた。

自宅から高速に乗って半田まで車をとばしたわけだけども、いい具合に田舎くさくて、心地の良さを感じた(今住んでいる地域と同じ程度かも)。さすがはごんぎつねの里だけある。

お寺から斎場(火葬場)までの道のりは、春先の穏やかな天気とあいまって、それはのんびりとしたものだった。菜の花畑は広がっているし、牧場のにおいは漂ってくるし。新美南吉記念館のすぐ横を通ったときには、次来た時には必ず立ち寄ろうと思った。というか、南吉という人は、こういう空気感の土地で育ったのかと軽く感慨を覚えた。

半田市の斎場はあまりに綺麗すぎて驚いてばかり。ホテルと見間違うような内装で、告別室とか採骨室とかが独立してあるのね。古い古い八事の斎場とは随分違う。
これまた綺麗な待合室で、(祖母にとっての)子どもたちや孫、ひ孫らがまったりと精進料理を頂いている間に、祖母はお花や経典とともに煙となって春の空高く昇ってゆき、あとに残ったお骨は真っ白で綺麗なものだった。

お寺に戻ってきて初七日の法要。そして精進落としの料理が出て(でもこれは食べきれないのでお持ち帰り)解散。

最近は年のせいか、身の回りで不幸が増えてきて、お通夜や葬儀に出ることが多いのだけど、今回のようにフルコースでゆっくりと故人の旅立ちに付き合うのは初めてかもしれない(義父の時は喪主の側なので何もかも慌ただしかったし)。葬儀でお別れをし、火葬場でまたお別れをし、お骨を拾ってあの世への道中の無事を祈る。

余談だけど、子どもたちに葬儀のプロセス(お通夜から四十九日まで)を説明したら「その手続の細かさ、いったい何のRPG?」とか言われたなぁ。いやぁ、実際面倒なんだけど、この手続きの細かさ、煩雑さは、たぶん、少しずつ故人の不在に慣れてゆくためだと思うのよね。

そういえば、一周忌を迎えた今になってようやく、存在感の半端無かった義父があの世へ行ってしまったことに慣れてきたなぁ。
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