今回は、何事も光のあるところには影ができるし、暗闇がなければ光が差してもわからない。という話の具体例。
先日、大学オケの先輩後輩と、飲み会をした。
おめでたいことがあった人たちを集めて、一種のお祝い会、という名目ではあったが、実際は飲んでしゃべるための口実。
洒落た和食のお店で、盃をかわしつつ、 たくさんのプレゼントが行き交い、お祝いとお礼の言葉が交わされ、年代を超えてよもやま話に花が咲いた。とても良い時間だった。
その中で、自分的に一番のハイライトは、オケの黒歴史を掘り起こす作業だった。いい具合に学年がバラけていたためか、それぞれの年代が経験した「大変だった事件」を披露するとそれを知らない世代が「へぇ、そんなことがあったんですか。自分たちの場合は~」という具合で、連鎖的に過去のトラブルが掘り起こされていく。
よくもそんなに色々と、と思うが、むしろ若い人間が50人も60人も集まって何かやろうとするんだから、ゴタゴタが起きないわけがない(若くなくても、揉め事は避けられないけど)。悪くすると学生オケ時代の経験がトラウマになることもあるのだが、この歳になってみると、若いころのゴタゴタをどう切り抜けたかで、人間的な懐の深さが違ってくるのかなという気がする。
この日の飲み会では、不思議なことに、愚痴大会のようなマイナスのオーラは発生しなかった。傷の舐め合いとも違う。どちらかというと集団カウンセリングに似て、一種の浄化作業に同席しているかのようだった。年月がたっていること、複数の視点があるということで、客観的にふりかえることができたせいかもしれない。大人になるってそういうことなのね。
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