この春はブログの更新が一向に進まない。というのも、今年は少々特殊で100年に一度(かもしれない)感染症パニックに巻き込まれ、お出かけネタがまったく生まれないからだ。
中国の武漢市内にある市場から広がったとされる新種のコロナウイルスは、巧みな戦略であっという間に中国を制圧し、次はアジア、そして西ヨーロッパ&アメリカで猛威をふるっている。
このウィルスは致死率はそんなに高くないし、感染しても症状が出ない人、あるいは「軽症」ですむ人も少なくない。ただし感染力は強く、飛沫感染する。また新種とあってワクチンもなければ治療薬もない。それが一番の問題で、感染者数をできるだけ抑えるには「ウイルスを持っている可能性のある人と接触しない。同じ空間にいない」しか方策がない。するとどうなるか。
人の集まる催しや場所を制限しなくてはいけない。また、移動もウイルスを拡散することになるので良くない。結果、ほとんどすべてのイベント(コンサートやライブを含む)は中止または延期。娯楽施設は閉鎖。ショッピングモールも生活必需品を扱う店以外はクローズ。花の名所など人が集まりそうなところもアウト。会社員は可能な限り在宅勤務へ(まあ、これはこれで家の中が過密になって良くないのだが)
さらにまだある。人と合う時はマスク必須。最低2メートルは離れる(ソーシャルディスタンス/笑)
これが今や世界中の基準となっている。外を出歩くと感染する可能性が高くなるので、不要不急の外出はすすめられない。合言葉は「Stay Home」。ほぼほぼ世界中が自宅軟禁状態だ。
だから、本来なら人があふれるGWになっても、街中はガラーン。大きな駅の構内も人気がなく、行き交うひとたちは皆マスクをつけている。マスクのない人は他人からの視線が痛い。
生きているうちにこんなディストピア世界を体験できるなんて思ってもみなかった。あまり楽しいと言えないどころか、人によっては生計が立てられなくなり、生活の危機を迎えている。何より人間にとって、リアルで集うチャンスを奪われるストレスは、自覚している以上に大きい。
こんな気候の良いときに、自然がその美しさを最大限に見せてくれるこの時期に、寒い季節が終わり各種イベントがこれでもかと開かれるシーズンだというのに、どこにも出かけることができない。友人たちと飲み食いして騒ぐこともできない。遠く離れて暮らす家族同士が集まることも許されない。これがしんどくない訳がない。
この引きこもり生活に何らかの意味はあるのだろうか。コロナウイルスとどう付き合ってゆけばいい?
そんな問いに答えるかのようなリアルタイム性の高い本が現れた。
ヨーロッパの中でも最も被害が大きいと言われるイタリアの作家が書き綴った「コロナの時代の僕ら」。
イタリアで感染爆発が起きる直接に書かれたこの本は深い透察に満ちている。中でも「あとがき」は絶品だ。コロナウイルスの恐ろしさは身体的症状だけでなく、社会性に打撃を与えることだ。前々から人間社会が抱えていた問題を容赦なくあぶり出した。コロナが収まればそれらの問題も収まるのかといえばそれは違う。コロナ騒動のときに誰が何をしたか「忘れるな」と著者は呼びかける。
だから、ここしばらくはコロナ騒ぎの備忘録としてこのブログを使ってみようと思う。冷静に考えてみれば、馬鹿げているとしか言いようのない騒ぎが毎日のように起きているから、ネタには事欠かないはずだ。願わくば、数年後に懐かしく読み返すことができますように。
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