さまざまなお楽しみがコロナウイルスのせいでお預けになってしまったというものの、実は悪いことばかりではない。「禍福はあざなえる縄の如し」という諺があるように、災難が幸運を連れてくることもある。
身バレしにくく(?)、なおかつわかり易い例を挙げると、コンサートの延期。
本来の日程では都合がつかなくて行けなかったはずのコンサートが延期になった→だがしかし、再設定された日なら行ける!
休みが取れなくて泣く泣く参加を見送ったコンサートが延期になった→だがしかし、一年先なら参加の可能性が見えてくる!
などなど。
ただし、中止になってしまったものは取り返しがつかない。残念というほかはない。
仕事に関しては、職場のイベントが次々に中止、休館施設が増えたおかげで、人手不足で頭を悩ませていたが余裕で回るようになった。しかも、スタッフに自宅待機を命じなくてよい程度にやることはある。これは非常にありがたい。
とはいえ、自分の立場的にはちっとも仕事量が減らず、相変わらず残業の嵐。そして緊急事態宣言の終了後に来るであろう反動がかなりこわい。
また、今年度は運悪く町内会の組長が回ってきてしまったのだが、コロナ禍のため、春の行事がほとんど吹き飛んだ。伝統ある行事(しかも信仰がらみ)をスキップすることに関しては多少なりとも残念さを感じるが、スポーツ系の行事は今後一切やらなくてもいいよと思うくらいだ。おまけに、仕事で行事の手伝いがまともにできない予定だったので、すっぱりと予定が吹き飛んでくれて後ろめたさを感じずにすんだ。
「ステイホーム」の掛け声が勇ましく、ふだん外に出てる人たちは家庭内にこもることで、ひどくストレスがたまっているようだが、我が家の男性チームはそれぞれ訳あって2年くらい前からステイホームな生活をしている。なので改めて生活を変える必要がなく、新しいストレスが溜まることもない。(もちろん2年前は大変だった)
こうやって「いいこと探し」ができる我が家は、かなり恵まれている部類に入るのだろう。仕事を失うわけでもなく(自分はサービス業の中でもこの時期閉めることができない種類の職場にいるし、ダンナ氏はそもそも仕事がない)、子どもが学びの機会を失うこともなく(すでに学校をリタイアして好きな分野を独学中)、コロナウイルスがやってくる前と同じような生活が送れているのだから。
そんなわけで、つい最近までは落ちこぼれファミリーという認識で暮らしてきたのだが、コロナ騒動はその認識さえ吹き飛ばしてゆく。
コロナ禍を直撃で受けた人もそうでない人も、過ぎ去ってみれば以前とは違う価値観の世界、さらに言うなら平行異世界に飛ばされた心持ちで生活してゆくのではないかと思っている。
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