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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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あいトリ初戦

8/21〜10/31まで名古屋市内で開催中の、あいちトリエンナーレ2010をちらりとのぞいてきた。
世界中から集まった現代芸術家が、名古屋市内にある二つの美術館とその周辺を舞台にアートを繰り広げるお祭り。

先日は、小手調べとして名古屋市美術館へ行ってきた。主にアジア圏出身のアーティストが出展してた。
うん、まあまあ楽しめたかな。面白いというよりは(いい意味で)イタイ作品が多かった気がする。

たとえば、塩田千春の《不在との対話》。天井からつり下げられた巨大な白いワンピースの上に、透明チューブを何十本と張り巡らせ、その中に赤い液体を巡らせている。それは見るからに血管を流れる血液なのだけども、モーターとポンプ、それに一部のチューブが点滴をひっかける器具にぶら下がっているところを見ると、それは輸血用のチューブ、あるいは人工透析の機械を思わせる。
恐らく「肉体はどこ?」と思わせるのが目的なのだろうが、自分の頭の中には病棟の風景が勝手に浮かんだ。子どもの時も大人になってからも病院にはよくお世話になったので、かなりリアルに。
すると、チューブの中を流れる赤い液体を見るだけでドキドキしてくる。もしも流れが滞ったら。もしモーターが壊れて流れが止まってしまったら、と。そっちの意味で「痛い」かよ、と思わずセルフ突っ込み。別に構やしない、現代美術の鑑賞=作品を通じた自己との対話だと思っているから。

あと、興味深かったのがツァイ・ミン・リャン〔蔡明亮〕の《Erotic Space II》という作品。
展示室の一角が、カプセルホテルみたくいくつもの小部屋に仕切られ、各個室にはベッドとTVモニターとトイレットペーパーが置いてある。それだけ。モニターに映っているのは古代遺跡のベッドルーム……かもしれないけど、あるいはカタコンベかもしれないと思った。私の認識では、性と死は親戚みたいなものだ。
実際にベッドに転がってモニターを眺めてもいいらしく、くつを脱いで作品スペースに入る仕様だった。もし独りで鑑賞に来ていたら、間違いなくベッドに上がっていただろうが、娘の手前、それはやめた。

島袋道浩の「漁村における現代美術」は、何とも言えず温く笑ってしまったかな。
漁村の魅力なんて! あの手の微妙にさびれた味のある港の風景は、案外どこにでもあるし、その風景を愛する人は、名乗りを上げていないだけで今でも沢山いるんじゃないかな。
もちろん、それを芸術として真っ向から取り上げる心意気は素敵だと思う。ただ、自分たちの生活が芸術として祭り上げられてしまった島の人たちは、本音の部分でどう思っているのかが気になる。

ここから先は毒吐き注意報発令中です。

しかし、現代芸術作品をながめていると、つくづく「こんな酔狂なものに生命/人生かけるなんて、よくできるよなぁ……」と思う。作品の本当の意義に気がついて心から称賛してくれる人は、鑑賞者のいったい何割? 世界どころか人の心を変えることも難しい。下手すれば、子どもの壮大な悪戯とか落書き、または工作にしか見えない作品もある。
こういう作品を創り続けることができるのは、表現し続けなければ心が死んでしまう種類の人たちなのだろう。そして創作にともなう面倒をすべて引き受ける覚悟のある人たち。創作中は至福の時間かもしれないけれど、難儀なことだなあと思う。

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