愛知県美術館で開催中の、ジャクソン・ポロック展に行ってきた。
なかなかよかったですよ。
前衛的ではあるけれど尖ってはいなくて、中には日本の「書」を思わせる作品もあったりして、夢の中にいるような、また音楽が聞こえてくるような不思議な感覚の作品群だった。
有名な作品のひとつ「ナンバー7,1950」(チケットのデザインで使われいる)を眺めていると、「狩猟と編み籠」(中沢新一・著)の中のエピソードが思い出されて仕方なかった。
太古の昔……石器時代の人類が執り行ったという、ほら穴にこもって暗闇の中に幻想を見るという儀式だ。幻想といっても、見たこともないような動物や植物が出てくる、というのではなく、もっと抽象的な光の線や点の動きを見るらしい。それは一説によると、脳内で神経シナプスが火花を散らしながら思考を伝達するさまに似ているともいう。
人の意識の源である、そのきらめきや光の軌跡を絵画で表現できたのがポロックだったのだ。人間の意識の源を捉えるという意味で、多くの前衛作家が同じものを描こうとして試みを重ねているが、たぶん一番ゴールに近い位置に立てたのがポロックだ、と「ナンバー7,1950」を見ると思う。ピカソやマチス、ミロもカンディンスキーもかなり良い線をいっており、優れた作品が多く残されているが、完璧さでいえばポロックが一番なのではないだろうか。
そんな作品をポロックはどうやって描いたのかというと、絵の具をキャンバスに流しこむ「ポーリング」や筆先から絵の具を滴らせる(時には飛ばす)どリッピング。これらは人の意思と偶然性が半分ぐらいずつ混じる技法だという点で興味深い。
制作するとき、ポロックはキャンバスをアトリエの床に置き、その上からさまざまな絵の具をふりかけてゆく。その様子を写したフィルムが残っていて、会場内でずっと上演されていたが、彼はタバコを咥えつつ、気楽な様子でペンキの菅にペインティグナイフ(のようなもの)を浸しては絵の上にふりかけてゆく。タバコが短くなるとポイっと捨て、煙をふかしながらすぐに絵に集中する。まるで子どもがいたずら書きに夢中になっているみたいだ。でも、出来上がった作品は、単なる落書きではなく、なぜか不思議な統一感が生まれている。
こうやって絵を制作するとき、ポロックは「絵と一体化している」といい、楽しい体験なのだとも語っている。こういう時の彼は、うまく無意識と接続できているのだろう。
その一方で、ポロック自身は生涯にわたってアルコール依存症に悩まされたようだ。なんども治療を試み、いっときは断酒に成功したが、作品がうまく作れない時期になったらまた飲酒が復活した。最後は飲酒運転による交通事故で亡くなっている。これが無意識の世界の表現に成功した代償だとしたら、芸術家も因果な職業だと思わざるを得ない。
それでも芸術家になる資質を持っている人は、どんなに大変な道であろうが、そっち方面に行かざるを得ないんだけどね。
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