あいちトリエンナーレは終わってしまったけれど、関連話をひとつ。
いくつかの会場でときおり聞こえてくる「Ah~」という女声の響き。かなり耳につく音なので気づいた人は多いと思うけれど、これはブーンスィ・タントロシンの映像作品《Superbarbara Saving the World(スーパーバーバラ世界を救う)》(2012)のイントロ部分。この作品は短い映像の集合体なので、トリエンナーレ各会場の、無料で見られるエントランスやロビーに1エピソードずつ分けて置かれていた。(ただし、全作品がまとまって見られる納屋橋会場では、有料ゾーンに展示)
スーパーバーバラというのは、空気で膨らむ人形でもともとはダッチワイフだったらしい。いくつかの短いエピソードから成り、それもひとつのまとまった動作を4~5回繰り返して終わる。見終わると独特の徒労感に襲われるとともに、気の毒なヒロインであるバーバラに何とも言えない同情心が生まれる。
作者のコメントによれば
「スーパーバーバラはアダルトグッズから世界の救世主へと変身した旧式のセックス・ドールです。彼女は自らの方法で問題を解決します。スーパーバーバラはヒーローであるとともに、問題の犠牲者でもあります。時折、これらの問題を解決しようとする人が現れます。しかし、遅かれ早かれヒーローは姿を消すだけで、そのトラブルは依然として続いていくのです。」
これだけ読むと何のことか分かりにくいと思うので、具体例をひとつ。
《十字架》というエピソードでは、足に重しをくくりつけ、両腕を広げて十字架の形を取るバーバラが、麦畑のどまんなかで風船のようにふわふわ浮いている(なにしろバーバラの中身は空気)。と、カラスが何羽か畑に飛んでくる。するとバーバラは「うわぁ」と声を出し、身体を震わせる。カラスは驚いて散る。バーバラはまた静かに浮く。またカラスが飛んできて、バーバラは声を出し、体を震わせてカラスを追い払う。カラス散る。また来る……。という終わりのない戦い(?)が5回ぐらい繰り返されて終わる。
無駄な努力を延々と繰り返すバーバラに対して、カラスを撃ち殺すか、畑全体に網でも被せれば済むじゃん、と小馬鹿にするのは簡単。でも、カラスは撃ち殺してもまたどこからか集まってくるし、網をかぶせたところで、カラスは網をやぶるかもしれない。結局、畑と害虫・害鳥(時にはどろぼう)との戦いは現実を見ればわかるようにイタチごっこ。バーバラがやっていることと現実世界で人がやっていることは本質的に変わりない。
もっと言えば、主婦の毎日――ご飯作る→食器洗う→次の食事のメニュー考える→作る→洗う、とか、掃除→散らかす→掃除→散らかすの繰り返しや、あるいは人間の基本的な営み――食べる→排泄→空腹→食べる、とか、睡眠→活動→睡眠など、人が生きている限り逃れられないある種の無限リピートをバーバラは体現しているようにさえ思える。だからこそ、ほんの数分のリピート映像に見入ってしまうのだろう。
作者自身、バーバラについては
” The animation is the reflection on how we handle the world around us. ”(このアニメ作品は、我々が身の回りの世界にどうやって対処しているかをそのまま反映しているのです)と、自らのサイトで語っていることだし。
実際、バーバラを見ているときは、「同じこと繰り返してアホだなぁ。もちょっとどうにかならんのか」的な苛立だしさと「でもそれって現実世界でもよくあるよね」的な妙な快感、さらには「この短い動きでダメな方の『あるある』を上手いこと表現してるよなー」という感嘆が同居して、ついつい画面から目が離せなくなるどころか、全エピソードが見てみたいと、会場を走り回る羽目になったりする。バーバラちゃんお茶目だし。
ところが実は。
作品を見るだけなら、愛トリ会場を走り回らなくても作者のサイトで見ることができるのだった。
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★もっとも、娘に言わせると「あの会場内で見るから面白いんじゃん」。
まあね。確かに名古屋市美術館の会場で、順路の最後に《工場》が現われた時には「やられた!」と思ったもの。
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