お出かけにはよい季節になった4月の後半、友人に誘われて名都美術館へ行ってきた。住宅街の中にひっそりと建つ日本家屋風の建物で、近現代の日本画がコレクションの中心になっている。身近にありながら、自分の関心が洋画に向いていたせいもあって、これまで一度も訪れたことがなかった。名都美術館の概要はこちら→
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今年で30周年を迎えるというこの美術館では、特別展「白寿記念 堀文子 ~私流の生き方を求めて~」を開催中だった。

不勉強にして今まで堀文子という画家を知らなかったのだが、かつて「今日の料理」の表紙を飾ったり、「キンダーブック」という幼稚園児向けの雑誌の挿絵を担当したこともあるという画風は、どこか懐かしく、同時にモダンな印象を受けた。手法は日本画なのだが、生み出される作品はさまざまなテイストを持つ。ゴーギャンを思わせたり、キュビスム風だったり、シュールレアリスム的な表現を使っていたり。これは画家が世界中を旅して歩いていたことを知れば、なるほどとうなずく。
ためしにwikiで経歴をちょっと調べてみるだけでもとんでもないバイタリティーの持ち主だとわかるが(→
★)、人生後半の方が活発に旅に出ていることも興味深い。たとえば、80歳を超えてから、ブルーポピーの実物を求めてヒマラヤを縦走してしまう。体力も執念も、ふつうなら加齢とともに失われてゆくことの多い好奇心をみずみずしいまま持ち続けていることに驚く。
もしかすると、このバイタリティーは40代で夫に先立たれたことと関係があるのかもしれない。若い頃から絵の修行に励み、挿絵等で生計をたてていた堀文子氏だけども、夫の病死にともない、家庭を抱えなくてよくなったために、自由に創作に打ち込める環境が整ったのではないか。そして、ここからが人生本番とばかりに、世界を旅し、イタリアにアトリエを構えたりする。
実際に絵の前に立つとその迫力、細やかさ、確かな観察眼、自然に対する畏怖と愛情をひしひしと感じる。なにより、色と形が生み出すリズムのようなものが心地よい。さらに言ってしまえば、クレーやマチスやカンディンスキーと同じ、音楽が聞こえるタイプの絵だ。「群れない、慣れない、頼らない」をモットーとした堀文子氏は、家族に恵まれたと言い難い代わりに、絵の神様に愛されている画家なのだなと思う。そして私たち、絵を見るものは眼福を味わう。
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