先日、金山に用事があったのでついでにボストン美術館に寄ってミレー展を見てきた。
名古屋に生まれて◯十年たつが、実はボストン美術館は今回が初めて。ホテルと同じ建物にあることにまずびっくり。そのせいか、名古屋市美術館などと比べて、どことなくセレブな空気を感じたわけだが、それは単に自分がお上りさんだからかもしれない。
それで、今回のミレー展はミレーの作品の他に、同時期に志を同じくして活動したバルビゾン派と呼ばれる画家たちの作品も展示されている。それがなかなか興味深かった。
彼らは主にパリ郊外の、フォンテーヌブローの森周辺に居を構えて作品作りに勤しんだ。彼らが好んで描いたのは、農民や羊飼い、洗濯女など、農村で働く人々の姿だったり、それまで単なる背景としかみなされていなかった森の風景であったり(「風景画」というジャンルを確立したのは彼らだという)、森や農場で見かける動物を主題にしたりもした。
当時のフランスでは、まだ「絵画」と言えばギリシャ神話の一場面や宗教画、貴族の肖像画が普通だった。一般庶民の普通の暮らしなんて、とてもじゃないが絵のテーマとしてふさわしくないとみなされていた時代だった。そこへ、バルビゾン派が殴り込みをかけた。傑作と言われる作品はおおよそ、今でこそ古典的な印象を受けるけれど、その時代においては最先端のスタイルだったのだ。
でも最初から喧嘩する気満々だったわけではないと思う。ミレーは裕福な農家の出身で、彼にとって興味をひかれるもの、美しいものといえば農村の風景や働く人々だった、というのは自然の流れだと思われる。また、15-6世紀にオランダを中心にフランドル派の画家たちが活躍して、彼らはやはり一般庶民の日常を描いており、その影響も少なからず受けているという。
実際にミレーを始めとするバルビゾン派の作品を見ると、フェルメールの時代の画家たちを思い起こさずにはいられない。全体として落ち着いた色合い、ほの暗い室内の様子、ほんのり光の中に浮かび上がる人物像。当時の生活がリアルに感じられるところなど、よく似ている。
それに、ミレーたちが活動した時代は、音楽の面でも聴衆の層が貴族から市民へと移っていった時代だし、文化の担い手が下の階級へ広がっていく流れがあったので、バルビゾン派の活動もその流れに乗っていたのではないかと思われる。
主な作品にはキャプションと解説文がついているのだが、「種まく人」のことを「農民をあたかも英雄のように描いた」と表現してあって、これは実にうまいたとえだなと思ったのだった。
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